山名 是豊(やまな これとよ)は室町時代の武士。備後守護。父は山名持豊(宗全)。弾正少弼。近江守。
父とは不仲であり、応仁の乱では東軍の細川勝元方につき、父の率いる西軍と争った。猛将として知られる吉川経基を従え上洛し、東上する大内政弘を迎撃しこれを破り、また西軍の拠点の一つ船岡山を攻撃しこれを奪取するなど(船岡山の戦い)、在京中の戦いにおいては活躍するが、東軍である小早川熈平が篭もる高山城への援護にむかったものの遅参し、備後に到着時には既に東西両軍が和睦をした後であるなど失態を演じ人望を失い、1475年、備後を追放された。その後は山名氏当主の山名政豊が備後守護となった。
備後山名氏はその後政豊の子である山名俊豊が継承するも、俊豊は父と対立し、度重なる内訌を見た傘下の国人領主は続々と山名氏から離反、備後における山名氏の力はその後急速に衰退した。戦国時代、杉原理興に滅ぼされた山名忠勝(氏政)は備後山名氏の末裔とされるがその系譜ははっきりとはしない。(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
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更新日時:2008年3月26日(水)15:27
取得日時:2008/08/17 20:21