屋島(やしま)は、香川県高松市北東部にある地区。かつては全域が木田郡屋島町(やしまちょう)に属したが、1940年2月11日に高松市に編入された。
またはその地区内に位置する山の名。唐や新羅の侵攻に備え天智天皇の命で山城・屋嶋城が建設された。治承寿永の戦いにおける源平の古戦場として有名である。山上からの瀬戸内海の眺めがよく、現在では香川県の代表的な観光地となっている。屋島全景(サンポート高松の埠頭より)
国の史跡、また、国の天然記念物に指定されている。
目次
1 立地と地形
2 歴史
3 観光
4 休業施設撤去問題
5 その他
6 関連項目
7 外部リンク
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海上から望む。先端は「長崎の鼻」東側から望む源平古戦場跡南側斜面 - 屋島ドライブウェイに通じる道路。中腹に見えるのは屋島神社。
南北5キロメートル、東西2キロメートルの島であり、花崗岩の基盤の上に乗った輝石安山岩からなる溶岩台地である。地中から噴出したマグマがテーブル状に固まってこの形になった説と、かつて平坦地であり、差別侵食によって周りの標高が下がってこの形になった説がある。なお、地元の教科書等には後者が載っている。標高29メートル。かつては四国本土からやや離れていたが、江戸時代の新田開発により陸続きに近くなった。ただ、今なお相引川によって隔てられている。
古くは天智天皇が白村江の戦いののちに山城を築いたことで知られる。また、唐僧鑑真が創建したとの伝承をもつ屋島寺がある。寿永3年(1184年)、一の谷の戦いに破れた平宗盛らが安徳天皇を奉じて根拠とし、翌寿永4年(1185年)2月に起こった屋島の戦いの古戦場として知られる。この戦いにおける、源氏方の武者那須与一が平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は特に著名である。1934年(昭和9年)11月10日、天然記念物指定と同時に国の史跡に指定された。
北嶺と南嶺にわかれ、南嶺山上には四国八十八箇所第84番霊場の屋島寺や、新屋島水族館(旧・屋島山上水族館)があり、獅子の霊巌からの高松市、瀬戸大橋方面の眺望、冠ヶ嶽からの牟礼町方面の眺望、談古嶺からの五剣山、源平古戦場方面の眺望は美しい。また、北嶺の遊鶴亭からの瀬戸内海方面の眺望も有名である。
名物は「いいだこのおでん」。また、源氏が勝利を祝って屋島山頂から陣笠を投げたことに倣って「かわらけ」という薄く小さな円形の土器を投げるのも屋島を訪れる人の楽しみである。
山上には登山道を徒歩で登るか、JR屋島駅または高松琴平電気鉄道志度線琴電屋島駅から屋島山上行きシャトルバス利用、あるいは車で有料道路(一般自動車道)の屋島ドライブウェイを利用して登る方法がある。ちなみに、屋島山上につながる道である屋島ドライブウェイは、ミステリーゾーンがあって展望性に優れたスカイラインである。
屋島山上に徒歩で登山する場合は、志度線の琴電屋島駅が最寄り駅。タクシーを使い、屋島ドライブウェイ経由で登る場合は、琴電屋島駅が最寄りとなる。
以前は山頂付近まで屋島ケーブル(屋島登山鉄道)がケーブルカーを運行していたが、2005年(平成17年)8月31日に廃止となった。
登山口奥には、四国村(四国民家博物館)がある。
かつては四国の代表的な観光地であった屋島であるが、瀬戸大橋開通時の賑わいを最後に観光客が激減した。この影響で山上にあったみやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖され、現在は事実上廃墟の様相を呈したものが少なくない。こうした建物は景観や保安上の問題があり地元からは撤去を求める声が多いが、土地の所有者が屋島寺であるため、公的機関が思うように撤去を進められないのが現状である。このため、高松市などは自然公園法による国からの補助金を得て公費で撤去を行うスキームを検討している。