尾張徳川家は、徳川氏の支系徳川御三家の一つで、尾張藩主の家系。単に「尾張家」とも言う。
目次
1 概要
2 歴代当主と後嗣たち
3 尾張徳川侯爵家
4 戦後の尾張徳川宗家
5 系譜
6 関連項目
7 脚注
8 外部サイトへのリンク
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徳川家康の九男徳川義直を家祖とし、江戸時代を通じて尾張藩を治めた。徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三家とともに後嗣を出す資格を有したが、七代将軍の徳川家継没後、徳川継友と将軍後継を争った末、紀州徳川家出身の徳川吉宗が八代将軍に就任。その後には御三卿が創設されたため、結局、尾張家からは将軍を出せなかった。
尾張コ川家の支系(御連枝)として、美濃国高須藩を治めた高須松平家がある。しかし、共に短命の藩主が多く、1799年に尾張コ川家、その翌々年には高須松平家で、義直の男系子孫は断絶してしまい[1]、19世紀以降の尾張徳川家は養子相続を繰り返して現在に至っている。
明治維新後は華族に列し、侯爵を授けられた。越前松平家から養子に入った十九代当主徳川義親は、財団法人尾張徳川黎明会(現(財)徳川黎明会)を設立し、1935年、愛知県名古屋市東区の尾張徳川家の別邸跡地に徳川美術館を開いた。徳川美術館では、源氏物語絵巻をはじめとする尾張徳川家伝来の貴重な文化財を保存し公開している。
歴代当主と後嗣たち
初代(藩主) 徳川義直
光友(二代)
二代(藩主) 徳川光友
綱誠(つななり/三代)
松平義行(四谷松平家=高須藩初代藩主)
松平義昌(大久保松平家=梁川藩初代藩主)
松平友著(ともあき/川田久保松平家祖)
友淳(ともあつ/のち高須藩三代藩主義淳、さらに宗家を継ぎ、尾張藩八代藩主徳川宗勝)
三代(藩主) 徳川綱誠
吉通(四代)
松平通顕(のち尾張藩第六代藩主徳川継友)
松平義孝(高須藩二代藩主)
松平通春(陸奥梁川藩主、のち尾張藩七代藩主徳川宗春)
松姫(五代将軍徳川綱吉養女、加賀藩主前田吉徳室)
四代(藩主) 徳川吉通
五郎太(五代)
五代(藩主) 徳川五郎太
(実子なし)
六代(藩主) 徳川継友 (三代藩主綱誠の子)
(実子なし)
七代(藩主) 徳川宗春 (三代藩主綱誠の子)
(実子なし)
八代(藩主) 徳川宗勝 (支藩高須藩三代藩主から養子、尾張藩二代藩主光友の孫)
宗睦(むねちか/九代)
松平義敏(高須藩四代藩主)
義柄(高須藩五代藩主、のち尾張藩九代藩主宗睦世子、徳川治行)
義裕(高須藩六代藩主)
松平勝当(高須藩七代藩主、高須松平家における義直系最後の当主)
竹腰勝起(尾張藩付家老、竹腰正起養子)
井上正国(下総高岡藩井上家養子)
九代(藩主) 徳川宗睦
治休
治興
十代(藩主) 徳川斉朝 (一橋徳川家から養子)
(実子なし)
十一代(藩主) 徳川斉温 (なりはる/徳川将軍家から養子、十一代将軍徳川家斉の実子)
(実子なし)
十二代(藩主) 徳川斉荘 (なりたか/田安徳川家から養子、十一代将軍徳川家斉の実子)
昌丸(一橋コ川家八代当主、夭折)
十三代(藩主) 徳川慶臧 (よしつぐ/田安徳川家から養子)
(実子なし)
十四代(藩主) 徳川慶勝 (初め慶恕/よしくみ、支藩高須藩から養子、水戸藩六代藩主徳川治保の曾孫)