日本の政治家
小里貞利
おざと さだとし
生年月日1930年8月17日(78歳)
出生地鹿児島県姶良郡霧島町
出身校旧制鹿児島県立加治木中学校卒業
所属政党自由民主党
世襲の有無無
親族(政治家)小里泰弘(長男)
公式サイト ⇒小里貞利
第21代総務庁長官
内閣第2次橋本改造内閣
就任日1997年9月22日
退任日1998年7月30日
震災対策担当大臣
内閣村山内閣
就任日1995年1月20日
退任日1995年8月8日
第61代北海道開発庁長官
内閣村山内閣
就任日1994年6月30日
退任日1995年1月20日
第30代沖縄開発庁長官
内閣村山内閣
就任日1994年6月30日
退任日1995年1月20日
第56代労働大臣
内閣第2次海部改造内閣
就任日1990年12月29日
退任日1991年11月5日
その他の職歴
衆議院議員
(1979年 - 2005年)
鹿児島県議会議長
(1975年 - 1979年)
鹿児島県議会副議長
(1974年 - 1975年)
鹿児島県議会議員
(1959年 - 1979年)
表・話・編・歴
小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属し、鹿児島県議会議員、衆議院議員、自由民主党総務会長、労働大臣、震災対策担当大臣、宏池会会長を歴任。
目次
1 概要
2 人物・エピソード
3 略歴
4 現在
5 外部リンク
//
鹿児島県霧島町(現霧島市)出身。旧制加治木中学校卒業。鹿児島県議会議員を6期18年勤め上げた後、1979年より自由民主党から衆議院議員に連続当選9回。宏池会(大平派)に属し、官僚系議員が多い同派内でも数少ない党人派として、田中六助に師事、その後は加藤紘一を支える。
1994年、細川内閣が総辞職し羽田内閣が発足すると、当時自由民主党国会対策委員長だった小里は、閣外協力に転じた日本社会党委員長村山富市、日本社会党国会対策委員長野坂浩賢とのパイプを生かし、自由民主党幹事長森喜朗と共に水面下で接触、羽田内閣倒閣への口火を切った。また、1996年、第1次橋本内閣の発足で衆議院予算委員会の筆頭理事に就任し、住専国会で新進党との攻防戦を展開した。住専法案の成立の際、新進党理事の小沢辰男、森本晃司の威圧に屈する事無く採決に持ち込むなど、その政治手腕を発揮する。
1990年の労働大臣を皮切りに次々と入閣、2000年には自由民主党総務会長に就任した。特に1995年の阪神・淡路大震災では、震災対策担当大臣に任じられ、政府の初動の体制の遅れを取り戻し阪神地区復興の準備を整えた事で全国に名を知らしめた。
同2000年に起こった加藤の乱では、加藤、山崎拓両人に、不信任投票はせず、本会議欠席までに留めるよう説得し、その裏では自由民主党幹事長野中広務とサシで会談、欠席派議員に対しての除名や処分を行わないことを約束させる。加藤の乱の代償として、党改造人事で小里は総務会長を離任。その後も少数派となった加藤派へと参加し、一貫して加藤支持の姿勢は変えなかった。