小磯内閣(こいそ ないかく)は、第41代内閣総理大臣の小磯國昭を首班とし、1944年(昭和19年)7月22日から1945年(昭和20年)4月7日まで続いた日本の内閣。元首相の米内光政が副総理格の海軍大臣として入閣し、内閣に重みを加えた。
目次
1 概要
2 閣僚
3 政務次官
4 外部リンク
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政策・軍事指導の両面に行き詰まり、重臣からも盛んに倒閣を暗躍され、しぶしぶ総理の座を降りた東條英機のあとを襲って組閣された。
昭和天皇は朝鮮総督として久しく中央から離れており国内に政治基盤を持たない小磯の指導力不足を懸念し、内閣は小磯と米内の連立内閣という形式を取らせることになった。米内は現役に復帰し、海相に就任するとともに、副首相格となった。
小磯本人は大命降下当時予備役であったが、現役に復帰した上で陸相を兼ね、強力なイニシアティブを取って軍部を抑えようと目論んだ。しかし、東條自身もまた陸相留任を望んだため交渉は難航し、妥協案として東條の推す杉山元が陸相に就任した。また、翼賛政治会の支持を得るために第2次近衛内閣以来設置が見送られていた政務次官・参与官が復活した。
組閣の時点で、先が見えていた内閣と言える。何をするにも動きが遅く効率が悪いため、「木炭自動車」と揶揄され、米軍の沖縄上陸と、繆斌工作の失敗を機に瓦解した。
在任 : 1944年(昭和19年)7月22日 - 1945年(昭和20年)4月7日。 ※総辞職は4月5日。鈴木貫太郎内閣成立までの間、職務を執行。
閣僚
総理大臣
小磯國昭(予備役陸軍大将[陸士12期])1944年7月22日 - 1945年4月7日
外務大臣
重光葵(官僚:外務省)(東條内閣から留任)1944年7月22日 - 1945年4月7日
内務大臣
大達茂雄(官僚:内務省)1944年7月22日 - 1945年4月7日
大蔵大臣
石渡荘太郎(貴族院所属:研究会)(東條内閣から留任)1944年7月22日 - 1945年2月21日津島寿一(官僚:大蔵省)1945年2月21日 - 1945年4月7日
陸軍大臣
杉山元(軍人:陸軍大将・元帥[陸士12期])1944年7月22日 - 1945年4月7日
海軍大臣
米内光政(軍人:海軍大将[海兵29期])1944年7月22日 - 1945年4月7日
司法大臣
松阪廣政(官僚:司法省)1944年7月22日 - 1945年4月7日
文部大臣
二宮治重(予備役陸軍中将[陸士12期])1944年7月22日 - 1945年2月10日伯爵児玉秀雄(貴族院所属:研究会)1945年2月10日 - 1945年4月7日
厚生大臣
廣瀬久忠(貴族院所属:研究会)1944年7月22日 - 1945年2月10日相川勝六(官僚:厚生省)1945年2月10日 - 1945年4月7日
大東亜大臣
重光葵(外相兼任)1944年7月22日 - 1945年4月7日
農商大臣
島田俊雄(衆議院:翼賛政治会)1944年7月22日 - 1945年4月7日
軍需大臣
藤原銀次郎(民間・投資家・王子製紙社長)1944年7月22日 - 1944年12月19日吉田茂(官僚:内務省)1944年12月19日 - 1945年4月7日
運輸通信大臣
前田米藏(衆議院:翼賛政治会)1944年7月22日 - 1945年4月7日
国務大臣
町田忠治(衆議院:翼賛政治会)1944年7月22日 - 1945年4月7日
国務大臣
伯爵児玉秀雄(貴族院所属:研究会) - 文相に転じる1944年7月22日 - 1945年2月10日廣瀬久忠(貴族院所属:研究会) - 厚相から転じる1945年2月10日 - 1945年2月21日石渡荘太郎(貴族院所属:研究会) - 蔵相から転じる1945年2月21日 - 1945年4月7日
国務大臣
緒方竹虎(民間・元朝日新聞社副社長)1944年7月22日 - 1945年4月7日
国務大臣
小林躋造(予備役海軍大将[海兵26期]・貴族院所属:翼賛政治会総裁)1944年12月19日 - 1945年3月1日
内閣書記官長
三浦一雄(法制局長官兼任・官僚:農商務省)1944年7月22日 - 1944年7月29日田中武雄(官僚:拓務省)1944年7月29日 - 1945年2月10日廣瀬久忠(国務相兼任・貴族院所属:研究会)1945年2月10日 - 1945年2月21日石渡荘太郎(国務相兼任・貴族院所属:研究会)1945年2月21日 - 1945年4月7日
法制局長官
三浦一雄1944年7月22日 - 1945年4月7日
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外部リンク
⇒首相官邸 - 小磯内閣