封建制(ほうけんせい)とは、中国など漢字文化圏における政治思想において主張された、周王朝を規範とする政治制度。転じて近現代になると西欧中世社会を特徴づける社会経済制度であるフューダリズム(Feudalism)の訳語にも援用された。両者は本質的に異なる概念であるため、詳細はそれぞれの節に記す。
目次
1 中世封建制度(フューダリズム)
1.1 ヨーロッパ
1.2 日本
1.3 中国における発展段階論
2 中国史における「封建制」
2.1 殷・周
2.2 春秋・戦国時代
2.3 秦以後
3 関連項目
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フューダリズム(Feudalism)とは歴史学において中世ヨーロッパ社会特有の支配形態を指した用語であり、「封建制」と訳出される。土地を媒介とした国王・領主・家臣の間の緩い主従関係により形成され、近世以降の絶対王政の中で消失した。
マルクス主義歴史学(唯物史観)においては、生産力と生産関係の矛盾を基盤として普遍的な歴史法則を見いだそうとするため、この理論的枠組みを非ヨーロッパ地域にも適用して説明が試みた。この場合、おおよそ古代の奴隷制が生産力の進歩によって覆され、領主が生産者である農民を農奴として支配するようになったと解釈される社会経済制度のことを示す。
古ゲルマン人社会の従士制度(軍事的奉仕)と、ローマ帝国末期の恩貸地制度(土地の保護)に起源を見いだし、これらが結びつき成立したと説明されることが多い。国王が諸侯に領地の保護(防衛)をする代償に忠誠を誓わせ、諸侯も同様の事を臣下たる騎士に約束し、忠誠を誓わせるという制度である。この主従関係は騎士道物語などのイメージから誠実で奉仕的な物と考えられがちだが、実際にはお互いの契約を前提とした現実的なもので、また両者の関係が双務的であった事もあり、主君が臣下の保護を怠ったりした場合は短期間で両者の関係が解消されるケースも珍しくなかった。
更に「臣下の臣下は臣下でない」という語に示されるように、直接に主従関係を結んでいなければ「臣下の臣下」は「主君の主君」に対して主従関係を形成しなかった為、複雑な権力構造が形成された。これは中世社会が(今日的な視点で見れば)極めて非中央集権的な社会となる要因となった。
西欧中世においては、特にその初期においてノルマン人、イスラーム教徒、マジャール人などの外民族のあいつぐ侵入に苦しめられた。そのため、本来なら一代限りの契約であった主従関係が、次第に世襲化・固定化されていくようになった。こうして、農奴制とフューダリズムを土台とした西欧封建社会が成熟していった(ただし、実際には各農村ごとにかなり相違があったと考えられている上、多くの農村では農奴だけでなく自由農民も相当数存在していた)。
ヨーロッパでのフューダリズム(封建制)が、外民族の移動・侵入などと強く結び付いて形成されたのに比し、日本の封建制はむしろ武士による統治などの国内的要因が主となって形成された(天皇を始めとする貴族は武士の権威を根拠付ける存在である)。西欧のフューダリズムで複数の契約関係や、短期間での契約破棄・変更がみられたのと同様、日本でも実際のところ戦国時代まで主従関係は流動的なものであり、「二君にまみえず」という語に示されるような主君への強い忠誠が求められたのは、江戸時代に入ってからである。
日本の封建制の成立をめぐっては、いくつかの説がある。鎌倉幕府の成立によって御恩と奉公からなる封建制が成立したとする説で、戦前以来、ほとんどの概説書で採用されていた。この考え方では、古代律令社会の解体から各地に形成された在地領主の発展を原動力として、領主層の独自の国家権力として鎌倉幕府が形成されたとみなす。従って承平天慶の乱(承平5年、935年)がその初期の現われとみなされる。
日本中世史と日本近世史の間で、1953年から1960年代にかけて日本封建制成立論争が展開した(太閤検地論争とも呼ばれる)。その口火を切った安良城盛昭は、太閤検地実施前後の時期の分析から荘園制社会を家父長的奴隷制社会(=古代)とし、太閤検地を画期として成立する幕藩体制を日本の封建制と規定した。しかし、激しい反論を生み、院政期以降を成立期とする説(戸田芳実など)、南北朝内乱期を成立期とする説(永原慶二など)が提起された。歴史学の関心が拡散する中でこの論争は明確な解答を得ぬまま終息した。
日本の領主の封建制は「税の徴収権」に過ぎず(参照→職の体系)、つまり西欧に見られるような領地の私有と領民への農奴としての隷属的支配権は存在しなかったので、本当の意味の封建制は存在しなかったとする説もある。
周の封建制(後述)とは別に、中国史において唯物史観的発展段階論を適用した場合の封建制について述べる。
近代以降、中国史を専攻する学者たちは、マルクスにより押された、「アジア的停滞」の烙印を何とかして剥がそうと試みた。
そのさきがけとなったのが郭沫若である。郭沫若はその著書『中国古代社会史研究』の中に於いて中国史に発展段階論を適用し、西周を奴隷制の時代とし、春秋時代以降を封建制とした。