寺尾正大
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寺尾 正大(てらお まさひろ)は日本の警察官(ノンキャリア)。最終階級は警視長。元警視庁刑事部捜査第一課長・警視正新潟県新潟市出身。


人物

オウム真理教事件、また日本史上最悪の無差別テロ事件として有名な地下鉄サリン事件の発生当時の捜査一課長であり、事件発生前は検察や警視庁公安部との調整に追われ、オウムの内偵指揮に追われ歴代一課長のなかでもとりわけ激務であった。しかし、その後、遂に地下鉄サリン事件が勃発し、オウムへの追及が最高潮に達したことで今度はマスコミにも追われるはめとなる。

警備の佐々淳行の別室(副官)経験があり、あさま山荘事件当時、寺尾は佐々夫人に「(土田国保警務部長宅爆破事件の次に狙われるのは佐々さんなので)お気を付け下さい」と電話。麻布署の捜査一係長で刑事となる。初めての捜査一課は1980年強盗犯捜査の係長(警部)。死体なき無尽蔵殺人事件、トリカブト殺人事件等の難事件を次々に解決。捜査一課管理官(警視)としてロス疑惑を担当し、渡米してロス市警と現場検証するなど捜査。殴打事件では有罪を勝ち取るも、銃撃事件では無罪となる。次期捜査一課長ポストの鑑識課長になりたての頃、「指紋の神様」と呼ばれた塚本宇兵に「FBIはすごいよ。何年も前の痕跡から血液を検出してしまうんだよ」と言って「わたしたちなら、そこから隆線だって採れる」と言われる。

1995年2月28日、第54代捜査一課長に就任。警視庁首脳部・管理部門とのパイプが太く、人事・予算の獲得が得意な才能で数少ない大課長と呼ばれた。

オウム真理教による事件がなかった東京で就任した日に目黒公証人役場事務長拉致事件が発生(翌日に被害者が死亡)。警視庁はオウム真理教教団施設への一斉捜索を準備。オウム一斉捜索が捜査一課担当となり、寺尾は佐々淳行に教示を仰ぎに行く。佐々は「これは三千名の機動隊を使う大警備実施だ。佐々が私服三百ではダメだ。警備局がやれといったといって君はその任務断れ。俺が手配して制私服合同の警備実施やらせる」と言い、警察庁・警視庁幹部・後藤田正晴に連絡。後藤田は「圧倒的兵力で殉職者を出さんような警備をやれ」と指示。捜索は機動隊(制服)・捜査一課(私服)の1千五百名の捜査一課長指揮事件となった。察知したオウム真理教は先手を打って3月20日に地下鉄サリン事件を起こすが、22日に予定通り一斉捜索を実施。


オウム事件

1995年、寺尾警視正は時の捜査第一課長として途方も無い巨悪と戦うことになる。当時は異例中の異例であった、自衛隊との連携捜査を実施、オウム真理教第6サティアンのあった上九一色村への捜査員派遣、制圧作戦、封鎖作戦の全面指揮を執った。

この際、サティアン内に潜んでいた教祖の麻原彰晃こと松本智津夫を捕縛・確保・逮捕した現場捜査前線本部の指揮も執っている。

その後は公安部とも連携し、一連のオウム騒動の首謀者、サリン事件の実行犯の洗い出しに尽力。最重要容疑者として全国に指名手配をかけ平田、菊地、高橋を最重要追尾捜索被疑者として追った。

また、オウム真理教に関してはかねてより東京地検との合同捜査を行っていたが、地下鉄サリン事件発生直前日には、地検上層部を尋ねて「我々が麻原を逮捕したらすぐに教団全部を起訴して欲しい。絶対に無罪にはさせないでくれ」という密約も結んでいる。

オウム騒動の後は、警視長に昇進し警視庁生活安全部長を務めた。

ちなみに捜査第一課長はノンキャリア専用の役職であり、寺尾自身も刑事畑を何十年も歩み、場数を踏んできたベテラン中のベテラン刑事であった。 カテゴリ: 日本の警察官 | オウム真理教事件 | 新潟県出身の人物

更新日時:2008年6月21日(土)05:30
取得日時:2008/07/01 00:38


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mango