安房国
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令制国一覧 > 東海道 > 安房国安房国の位置

安房国 (あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だったの一つで、東海道にある。現在の千葉県南端にあたる。房州(ぼうしゅう)と呼ぶこともある。稀に安州(あんしゅう)とも。また、南総(なんそう)とも呼ばれた。延喜式での格は中国、遠国。



目次

1 沿革

2 地域

2.1 郡と荘園(古代-中世)

2.2 郡と村(近世-近代)

2.3 石高

2.4 人口


3 施設

3.1 国府

3.2 国分寺

3.3 延喜式内社

3.4 駅

3.5 馬牧

3.6 城館

3.7 湊・津


4 人物

4.1 国司

4.1.1 安房守


4.2 守護


5 関連項目

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沿革

養老2年(718年)5月2日、上総国の平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡を分けて安房国が建てられた。天平13年(741年)12月10日に上総国に合したが、天平宝字元年(757年)に元に戻された。上総国阿幡郡、上総国阿波郡、上総国安房郡という表記の木簡がある。

古代の安房国は、豊かな漁場に恵まれたことから御食国に任じられ、皇室や朝廷の御饌を担当した。膳氏を司る伴造氏(後に高橋氏と改称)の出自を示した『高橋氏文』によると、景行天皇東国に行幸したおりに、安房国にて磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと、膳氏の始祖とされる)が(はまぐり)を捕り、天皇に料理をして献上したところ、天皇の子孫代まで御食を供するよう膳臣を授かったという記述がある。そのことに由来し、当時、中央官庁の大膳職で御食津神として祀られた安房神社高家神社などが存在する。


地域


荘園(古代-中世)


@安房郡A平群郡B朝夷郡C長狭郡


@安房郡

安東郡、安西、長田保、阿布里保


A平群郡

平北郡、小保田保、下尺万保、多々良荘、群房荘


B朝夷郡

朝平南郡、岩糸保、丸御厨


C長狭郡

東条御厨、白浜(天津)御厨、長狭西条、東北荘


郡と(近世-近代)

@安房郡(平群郡・朝夷郡・長狭郡が1897年に一部となる)
館山町、北条町、豊津村、館野村、九重村、稲部村、豊房村、長尾村、富崎村、神戸村、西岬村平群郡勝山村、佐久間村、保田村、富浦村、八束村、岩井村、平群村、国府村、滝田村、凪原村、船形村朝夷郡曦村、七海村、健田村、千歳村、満禄村、豊田村、南三原村、和田村、北三原村、白浜村、江見村長狭郡鴨川町、田原村、西条村、東条村、大山村、吉尾村、由基村、曽呂村、太海村、天津町、湊村安藤広重・六十余州名所図会-安房小湊内浦


石高

95736


人口

1721年(享保6年) - 11万5579人

1750年(寛延3年) - 15万8440人

1756年(宝暦6年) - 13万7565人

1786年(天明6年) - 12万5052人

1792年(寛政4年) - 13万0836人

1798年(寛政10年)- 13万3513人

1804年(文化元年)- 13万2993人

1822年(文政5年) - 13万9662人

1828年(文政11年)- 14万830人

1834年(天保5年) - 14万4581人

1840年(天保11年)- 13万9442人

1846年(弘化3年) - 14万3500人

1872年(明治5年) - 15万4683人


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki