宇多天皇
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宇多天皇(うだてんのう、貞観9年5月5日867年6月10日) - 承平元年7月19日931年9月3日))は、日本の第59代天皇(在位:仁和3年11月17日887年12月5日) - 寛平9年7月3日897年8月4日))。 名は定省(さだみ)。
目次

1 系譜

1.1 系図


2 略歴

3 后妃・皇子女

4 諡号・追号・異名

5 在位中の元号

6 陵墓・霊廟

7 関連項目

8 外部リンク

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系譜

光孝天皇の第七皇子。母は桓武天皇の皇子仲野親王の娘・皇太后班子女王

一度臣籍降下し、源氏の姓を賜って源定省を称したが、後に実力者の関白藤原基経の後押しで887年仁和3年)8月25日に皇族に復帰し、翌8月26日皇太子に立てられる。これには宇多天皇が基経の異母妹である尚侍藤原淑子の猶子であったことが大きい。同日に光孝天皇が病没したため践祚し、11月17日即位した。

第一皇子敦仁親王(のちの醍醐天皇)は、女御(贈皇太后)藤原胤子の子。藤原胤子は内大臣藤原高藤女で、宇多天皇が若い時からの妻の一人。

藤原胤子の他、女御は藤原温子、橘義子、菅原衍子、橘房子。藤原温子は基経の女で、宇多帝即位後に入内した。女御藤原胤子が病没後、皇太子敦仁親王を猶子とし、醍醐天皇即位に伴い、皇太夫人となる。晩年は東七条宮に住んだため、東七条后、七条后とも称される。橘義子からは斉世親王があり、菅原道真女を妻としたことから、後年菅原道真の誣告に際してその名が出た。菅原衍子は菅原道真の女。

皇子皇女多数。宇多天皇の孫は、ほとんどが源氏の姓を賜り、臣籍に降下した。 宇多天皇から出た源氏を宇多源氏といい、藤原胤子の子・敦実親王から出た系列が最も栄えた。 敦実親王の子・源雅信左大臣を務め、その女・倫子藤原道長の正室となり、一条天皇中宮彰子や関白頼通の母となった。朝廷貴族としての地位を維持した子孫としては、公家の綾小路家などがあり、また雅信から近江に土着した佐々木氏が出ている。


系図

 (54)仁明天皇 (55)文徳天皇 (56)清和天皇 (57)陽成天皇 元良親王
        
    惟喬親王  貞純親王 (源)経基清和源氏へ〕
   
  (58)光孝天皇 (59)宇多天皇 (60)醍醐天皇  
      
  人康親王 操子女王
(藤原基経妻)  真寂法親王
(斉世親王)
   
  敦実親王 (源)雅信宇多源氏へ〕
  



略歴

藤原時平菅原道真を重用した(寛平の治)。888年仁和4年)に造立された勅願寺が仁和寺

その後、醍醐天皇に譲位し、仁和寺に入って法皇と称した。天皇の譲位については古くは仏道専心説が有力であったが、近年では藤原氏からの政治的自由を確保するためとする説、一旦臣下から皇族に復帰して即位したためにこれに不満を抱く他の皇族の皇位要求の動きに先んじた説などがある(後述の『大鏡』の陽成上皇の発言はその暗示ともされる)。また『寛平御遺誡』には右大臣源能有の死による強い衝撃について書かれており、退位と結びつける見方もある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mango