考試院院長 姚嘉文
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所属政党民主進歩党
生没年1938年6月15日 -
出生地台湾彰化県和美鎮
学歴台湾大学法学部卒業(1966年)
台湾大学大学院修士課程修了(1968年)
カリフォルニア大学バークレー校大学院修了(1972年)
経歴民主進歩党第2代主席(1987年 - 1988年)
彰化県政府顧問(1989年 - 1992年)
立法委員(1993年 - 1996年)
総統府資政(2000年 - 2002年)
考試院長(2002年 - )
ウェブサイト
姚 嘉文(よう かぶん, 1938年6月15日 - )は、台湾の政治家。考試院長、元民主進歩党主席。
台湾中部の彰化県和美鎮に生まれた。1957年、台湾省の公務員普通統計職員試験にトップで合格すると、交通部電信総局(現在の中華電信)に入った。その後、台湾大学法学部などを卒業し、1966年に弁護士の資格を得る。カリフォルニア大学バークレー校への留学から帰国した1973年には、林義雄や張徳銘と一緒に弁護士事務所「平民法律服務中心」を設立した。また、比較法学会の総幹事として司法改革や法治主義の推進に努めた。1975年、林義雄と郭雨新の訴訟を提起し、「党外大護法」の栄誉を受ける。1978年には「護法と変法」を出版し、国会の全面改選を訴えた。同年開催された国民大会代表選挙に参加したが、おりしもアメリカと中華民国との断交が決まり、選挙は中止されてしまった。
1979年、美麗島事件で逮捕、起訴され懲役12年の判決を受ける。その後、1987年に仮出獄すると、同年12月に第2代民進党主席に当選する。1988年、民進党主席として「台湾主権独立案」を採択した。翌1989年には台湾新憲法の枠組みを提案する。またこの年、妻の周清玉が彰化県長に当選、自身も県政府顧問に就任する。1992年の立法委員選挙では当選したものの、再選を狙った1995年の選挙ではあえなく落選。再起をかけた1998年の選挙でも落選してしまう。その後、2000年に陳水扁が総統に就任すると、総統府資政に就任する。2002年から考試院長を務めている。
先代:
江鵬堅民主進歩党党主席
1987年 - 1988年次代:
黄信介
先代:
許水徳中華民国考試院院長
2002年 -次代:
(現任)
カテゴリ: 台湾の政治家 | 1938年生
更新日時:2008年2月2日(土)14:14
取得日時:2008/07/25 23:26