失業(しつぎょう)とは、仕事を失うことおよび働く意思も能力もあるのに仕事に就けない状態を指す。また、そのように仕事が無い状態を無職(むしょく)とも言う。
目次
1 失業の要因別分類
1.1 非自発的失業
2 失業の歴史
3 失業率
3.1 定義
3.2 景気等との関係
3.3 日本の失業者数・失業率
3.4 各国の失業率
4 その他
5 脚注
6 参考文献
7 関連記事
8 外部リンク
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失業を発生要因別に次のように分類できる。
構造的失業: 産業構造の変化に伴い、企業側の求める人材と求職者とが合致しない状況での失業。
循環的失業: 景気の変動に伴って生じる失業で、需要不足失業とも呼ばれる。
摩擦的失業: 労働力が地域間や産業間で移動した時に発生する失業。一時的な失業とされている。
季節的失業: 季節的要因により発生する失業。
さらに、次のような失業も考えることができる。
潜在的失業: 仕事に就きたいと思っているが適当な仕事がないという理由から、仕事を探すことをやめる失業[1][2]。
自発的失業: 自己の意思により失業を選択している、あるいはより良い労働条件を求めて自分の意思で失業すること。
非自発的失業: 現行の賃金で就職を望んでいるにもかかわらず、自ら望まない形で失業していること。
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非自発的失業の存在を認めるかどうかについては、経済学者の中で意見が分かれる。
古典派経済学では、不完全雇用を伴う均衡の可能性を否定している。すなわち、摩擦的失業以外の原因による非自発的失業は、賃金価格が伸縮的であれば調整の過程を除いては存在しないとしている[3]。これは古典派が、価格の自在な伸縮によって全ての売れ残りの解消が可能とするセイの法則を前提として、失業者は現在雇用されている労働者よりも低い賃金を提示して職を見つけることが可能であるとするためである。賃金価格の下落によって失業が解消されないのは、その賃金以下では働かないという労働者の選択に唯一の原因があるとする。
これに対してケインズは、セイの法則と相対する有効需要の原理を提示し、社会全体の生産物に対する需要[4]によって雇用量が決定されるとして、不完全雇用を伴う均衡の可能性を認める。そのさい有効需要の不足によって発生した非自発的失業は、総需要を拡大することによって解消されなければならないとした。
ニューケインジアンはより詳細に、セイの法則の前提の下でも、多くの場合名目賃金には下方硬直性があると指摘し、非自発的失業者が存在する状態でも、賃金が容易に低下しないとする[5]。このため古典派の主張する労働需給の均衡過程は短期では成立しないと指摘する。名目賃金の下方硬直性を説明する要因としては、相対賃金仮説、効率賃金仮説、インサイダー・アウトサイダー仮説など様々な理由が考えられている(詳しくは労働経済学を参照)。
完全雇用も参照
中世キリスト教世界では、貧しいことは神の心にかなうこととされ、そういう人に手を差し伸べることは善行であった。宗教改革は、こういった見方を一変させ、「怠惰と貪欲は許されざる罪」で、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を神聖な義務であるとした。プロテスタンティズムの流行は貧しいものへの視線を変容させ、神に見放されたことを表わすという見方が広がり、都市を締め出された貧民は荒野や森林に住みつくか、浮浪者となって暴動を起こすようになった。
イギリスでは1531年に王令により貧民を、病気等で働けない者と、怠惰ゆえに働かないものに分類し、前者には物乞いの許可をくだし、後者には鞭打ちの刑を加えることとした。1536年には成文化され救貧法となり、労働不能貧民には衣食の提供をおこなう一方、健常者には強制労働を課した。産業革命が加速する18世紀まで、健常者の「怠惰」は神との関係において罪として扱われ、救貧院の実態は刑務所そのものであった。18世紀以降、キリスト教の価値観を離れた救貧活動が広がり、ギルバート法の成立やスピーナムランド制度がイギリスで成立し、救貧や失業に対する価値観はようやく変転を見せた(救貧法参照)。
産業革命以後、賃労働者の比率が高くなったことから、失業は重大な社会問題として取り扱われることとなった。19世紀のイギリスにおいては、金融と設備投資の循環から、ほぼ10年おきに恐慌が発生しており、そのたびに失業率が10%近くにまで上昇する循環があった。
20世紀に入って、この循環は次第に崩れ、1929年に発生した世界恐慌以後は、各国で失業が急増。アメリカでは一時失業率が25%に達し、社会革命が公然と叫ばれた。なお、この時の失業はニューディール政策により一時的に減少したが、政策が後退すると再び増加し、太平洋戦争による大規模な軍需発生まで解決されなかった。
戦後、ブレトンウッズ体制の下で西側諸国は奇跡的な高度成長を達成。国家による経済政策への大幅な介入により完全雇用がほぼ達成された。1970年代に入ると、名目賃金の上昇とオイルショックの発生で供給構造が傷み、インフレーションの下で失業が増加した。
1980年代に入ると不況からの脱出を図り新自由主義的経済政策が導入され、労働市場が流動化した国々では経済成長率が高まったが、同時期にインフレ率抑制を目的にした金融政策が採用され、失業率は大幅に上昇した。