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賢所御神楽
天長祭<天長節祭>
先帝以前三代の例祭
節折・大祓
(式年祭・旬祭)
天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、日本の国民の祝日の一つで、今上天皇(在位中の天皇)の誕生日を祝う日。第二次世界大戦終結までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた。現在は、皇居において、一般参賀が行われている。
目次
1 概説
2 歴代天皇の天長節・天皇誕生日
3 歌
4 関連項目
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天長節の名は古く、唐は玄宗皇帝の誕生日を天長節と祝った事に由来する。天平元年(729年、中国暦開元17年)に千秋節と改められたが、20年後の天宝7年には天長節に改められた。天長は老子の「天長地久」よりとられている。
日本においては27年後の宝亀6年(775年)の光仁天皇の時代、10月13日に天長節の儀がとりおこなわれ、臣下は天皇の好物の酒を献上し、宴を賜ったという。このことは宝亀10年の記録にも見受けられ、平安時代においても行われていたようである。室町時代には御湯殿上日記の記述にも祝われたことが伺える。
国家の祝日として表舞台に舞い戻るのは、明治元年9月22日(1868年11月6日)に天長節として祝ったときである。明治6年(1873年)の太陽暦採用後、11月3日に変更。その後、即位した天皇の誕生日にあわせて天長節が定められた。戦前は新年・紀元節・明治節ともに四大節の一つとして、盛大に奉祝されていた。なお、皇后の誕生日は地久節(前述天長地久から対比となっている)と呼ばれるが、戦前においても国家の祝日にはなっていない。
戦後、天皇誕生日として国民の祝日と定められ現在に至る。また、国民の祝日に関する法律を立法するに先立って行われた、「希望する祝日」の政府の世論調査では、「新年」に次いで「天皇陛下のお生まれになった日」が第2位であった。
天皇誕生日と天長節は内容的にほぼ同じものであると考えて間違いはないが、天長節については実際の誕生日からこれを祝う日(祝日)を移動する場合もあった(大正天皇の場合。同様の例はイギリスの女王誕生日 ⇒en:Queen's Official Birthdayがある)。現在では祝日法において天皇誕生日は「天皇の誕生日を祝う」と定められており、実質上天皇誕生日と天皇誕生祝日の分離は困難であると思われる。
なお、現在の日本では祝日法によって、月日に基づき天皇誕生日が定められている。そのため皇位継承によって自動的に祝日となるわけではなく、前代天皇の誕生日と今上天皇の誕生日が異なる場合、国会で祝日法を改正をする必要がある。
国民の祝日
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天皇誕生日
(振替休日)
(国民の休日)
歴代天皇の天長節・天皇誕生日時代在位天皇西暦祝日
明治時代明治天皇1868年 - 1872年9月22日 (旧暦)
1873年 - 1911年11月3日
大正時代大正天皇1912年 - 1913年8月31日