天文学史(てんもんがくし)は、天文学の歴史についての事である。その歩みは人類の歴史とともにあったと言っても過言ではない。
目次
1 年表
2 概略
2.1 天文学の起源
2.2 ギリシア天文学
2.2.1 食の予測
2.2.2 金星の発見
2.2.3 宇宙の構造に関する考察
2.2.4 天体座標の発明
2.2.5 天体の直径を算出
2.3 西洋天文学史
2.3.1 古代
2.3.2 アラビア天文学
2.3.3 ルネサンス期
2.3.4 近代
2.3.5 近現代
2.4 日本天文学史
2.4.1 古代
2.4.2 中世から近世
2.4.3 近代
2.4.4 現代
3 外部リンク
//
年表天動説地動説
紀元前2000年頃 - エジプトで太陽暦、メソポタミアで太陰暦が起こる
紀元前200年頃 - エラトステネスが地球の大きさを測定(夏至の太陽の視差から、地球直径を45000kmとした)
紀元前2世紀頃 - ヒッパルコスが恒星の明るさ6段階に分けた。(これは若干形を変え、視等級として現代でも使われている)
1606年 - ケプラー、「惑星の運動の法則」
1632年 - ガリレオ、地動説を完成させる
1666年 - ニュートン、万有引力の法則を考案。(ニュートン力学)
1781年 - ハーシェルが天王星を発見
1800年頃 - ハーシェルが赤外線放射を発見
1864年 - ガレが海王星発見
1905年 - アインシュタインが「特殊相対性理論」を発表
1910年 - アインシュタインが「一般相対性理論」を発表
1920年代 - ハッブルが銀河の観測などから宇宙の膨張を発見。
1928年 - 国際天文学連合第3回総会委員会で、全天を88星座に区分することが承認される。
1987年 - 大マゼラン星雲で超新星出現、初のニュートリノ検出
1990年 - ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げ
2006年 - 冥王星が惑星から除外され太陽系の惑星は、「惑星」、「dwarf planet」(矮惑星)、「Small Solar System Bodies」(小惑星)の3つに定義されることになった。(詳細は惑星#2006年IAU総会を参照 )
天文学の起源は暦を作ることから始まったと考えられている。人類が農耕を行うようになると、農作物の栽培や収穫に最適な時期を知るために1年周期の季節変化を正確に把握する必要が出てきた。一方で人類は太陽や星々の観察によって、季節が変化する1年という周期が、恒星の位置および恒星に対する太陽の位置の移り変わりの周期でもあることを知っていた。さらに、月が1ヶ月周期で満ち欠けすることも知っていた。従って、月の満ち欠けの周期と太陽や恒星の位置変化の周期との関係が分かれば、月の欠け具合を見ることで、今日が1年の中の何日目かを知ることができる。これが暦の始まりである。ゆえに古代の暦法は、月の満ち欠けを基礎にしたもの(太陰暦)だった。
しかし太陽の運行に基づく1年は月の満ち欠けの周期(朔望月)の整数倍にはなっていないため、そのままでは太陰暦による10月は太陽暦における9月、8月などに次第にずれていってしまい、「麦は10月にまく」などとは言えなくなってくる。(イスラム世界で使われるヒジュラ暦はこの方式であり、ラマダーン月の時期が夏になったり冬になったりする。)このため、暦と実際の観測結果を比較して、太陰暦に閏月などの補正を入れることで太陽年とずれを生じないように絶えず暦を作り変えてきた。このように、いかに正確な暦を作るかを追求することが古代における天文学の主要な役割であった。
世界ではじめて月と太陽の運行周期を体系化したのは、メソポタミアである。早くも紀元前3000年の時点で、19年を単位とし、そのうち特定の年を12カ月、別の特定の年を13カ月とおくことで、月と太陽の運行のずれを吸収した。一方、エジプトにおいては月と太陽の運行の関係は重視されなかった。これは一定の周期で氾濫を繰り返すナイル川の洪水のためである。