天下
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「天下」の概念
図は漢代の華夷思想に基づくもの。「天下」概念は時代および国によってその定義が異なるため、これはあくまで実例の一つである。赤の範囲が「華」あるいは「夏」の領域で、一般庶民に至るまで漢の礼制・法制にしたがう。青は漢の徳の及ぶ「外臣」および「朝貢国」の領域で、「外臣」とは漢皇帝に臣属した夷狄の君主たち。「外臣」の国では外臣のみが漢の礼制・法制にしたがう。その外側にはいまだ漢の徳の及んでいない「化外」の領域がある。外臣・朝貢国・化外は基本的に「夷」の領域である。一般に「天下」概念は観念上にこのような同心円的構造をもって成立する

天下(てんか、てんが、てんげ)とは、全世界を意味する概念。字義的には「普天の下」という意味で、地理的限定のない空間のことであるが、用法によっては一定の地理概念と同じ意味に用いられることもある。また一般に天下は、一定の秩序原理を伴い、その対象とされる地域民衆国家という形で捉えられる。すなわち一般に「世界」は「世界観」がなくても客観的に存在しているものと認識されるが、「天下」は一定の秩序原理によって観念的に成立している。
目次

1 読み

2 定義と特徴

2.1 中国

2.2 日本

2.3 朝鮮

2.4 ヴェトナム

2.5 北方アジアの遊牧民


3 歴史的展開

3.1 中国における「天下」

3.2 日本における「天下」

3.3 朝鮮における「天下」

3.4 ヴェトナムにおける「天下」

3.5 北方アジアの遊牧民における「天下」


4 参考文献

5 脚注

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読み

「てんか」は漢音、「てんが」はその連濁、「てんげ」は呉音である。

現在は「てんか」が普通だが、本来は「てんげ」と読んだ。「天上天下」など成句の中には現在も「てんげ」と読むものがある。


定義と特徴


中国

中国における天下は、一般に中国王朝の皇帝が主宰し、一定の普遍的な秩序原理に支配されている空間であった。天下の中心にあるのが中国王朝の直接支配する地域で、「夏」「華」「中夏」「中華」「中国」などと呼ばれる。その周囲には「四方」「夷」などといった中国王朝とは区別される地域があるが、これらの地域もいずれは中国の皇帝の主宰する秩序原理に組み入れられる存在として認識されていた。(中華思想皇帝参照)


日本

日本における天下の概念は、はやく古墳時代に見ることができる。当時、倭国王は中国王朝に対して倭国王または倭王と称していたが、熊本県江田船山古墳から出土した鉄剣の銘文などによれば5世紀後期ごろには国内に対して「治天下大王」(アメノシタシロシメスオホキミ)と称していたことが判明している。これは、その時期までに、倭国内で「中国世界とは異なる独自の天下」概念が発生していた徴証だと考えられている。『隋書』によれば7世紀初頭の大業3年(607年)に倭国王(原文「?國王」)が皇帝煬帝への親書に自らを「日出處天子」と称したことも、中国世界と異なる天下概念が存続していたことを物語っている。7世紀には律令制の導入とともに中国的な天下概念が移入された。律令制の特徴である公民思想を伴って、「天下公民」という形で把握された。王朝国家の進展に伴って、平安時代には一時「天下」の概念は廃れるが、鎌倉幕府の成立が「天下の草創」と認識されたように、武家社会の進展に伴って日本とほぼ同義の意味で使用されるようになった。(天皇律令制天下統一参照)


朝鮮モンゴルの宇宙三界説
天上世界・地上世界・地下世界から宇宙が成り立っているとする考え方。天上界から地上支配を代行する「英雄(=テングリの子)」が遣わされ、秩序をもたらす。地上世界は大きく英雄の秩序に服する世界とそれに敵対する世界に分かれ、英雄の支配は徐々に拡大するものと主観されている。トルコ民族にも同様の構造をした世界観が存在する

朝鮮においては、歴史的に「天下」の用例は極めて少ない。それは中国王朝を中心とする天下のなかにあった時期が極めて長かったことによる。高句麗新羅百済の古代王朝、そして高麗の時代にも朝鮮を中心とする独自の天下概念がなかったわけではないが、高麗後期に朱子学が流入すると、名分論の立場から朝鮮中心の天下的世界認識に批判が加えられた。一方で朱子学は自国を「小中華」「小華」などと認識する小中華思想を生んだ。小中華主義は明代中国に流行しながら朝鮮では流行しなかった陽明学を異端視する風潮、清朝による中国支配を「中国が夷狄の支配に服するもの」と規定する認識となり、朝鮮こそが中華の本流であるという思想をはぐくんだ。朝鮮では中国を中心とする「天下」概念と朝鮮を中心とする「天下」概念が並存していた。


ヴェトナム

ヴェトナムにおける天下の概念は、13世紀の元寇を契機として民族意識が昂揚するとともに出現した。その天下概念は当初陳朝にいたるヴェトナム王朝を南越国の後継と位置づけ、その領域であった中国の嶺南地方からヴェトナム北部に至る地域に固有の天下概念を設定するものであった。ところが18世紀末の黎朝末期のころになると、南越をヴェトナム王朝の正統とする史観に批判が加えられ、阮朝の時代には自称国号も「大南」となり「越」字が消滅する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki