主な出来事
抗日戦争 ? 国共内戦 ? 中ソ対立
大躍進政策
文化大革命 ? 林彪事件
改革開放
四五天安門事件
六四天安門事件
人物
毛沢東 ? 周恩来 ? 朱徳
劉少奇 ? 華国鋒 ? ?小平
林彪? 江青? 胡耀邦
趙紫陽 ? 江沢民 ? 李鵬
朱鎔基 ? 胡錦濤 ? 温家宝
理念
マルクス・レーニン主義
毛沢東思想 ? ?小平理論
4つの基本原則 3つの代表
地域
中国 ? 華北 ? 東北
華東 ? 華中 ? 華南
西南 ? 西北
中華人民共和国の行政区分
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大躍進政策(だいやくしんせいさく)は、共産革命後の中華人民共和国にて、近代的な共産主義社会を作ることを目的に、1958年から1960年まで施行された農工業の大増産政策である。毛沢東は生産力理論(Theory of Productive Forces)に基づきこの政策を実施した。しかし、農村の現状を無視した強引な集団農場化や、農村での鉄鋼生産などを進めた結果、少なくとも2000万人といわれる餓死者を出し大失敗に終わった。このため毛沢東の力は低下し、この権力の回復を目的に文化大革命が起こることとなった。
目次
1 概説
2 詳細
2.1 大製鉄・製鋼運動
2.1.1 概要
2.1.2 建設資材
2.1.3 燃料の確保
2.1.4 原料の確保
2.1.5 結果
2.2 四害駆除運動
2.3 密植・深耕運動
3 政策の結末
4 関連項目
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1957年11月6日、ソ連共産党第1書記ニキータ・フルシチョフは、ソ連が工業生産(鉄鋼・石油・セメント)および農業生産において15年以内にアメリカを追い越せるだろうと宣言した。毛沢東はこれに触発され、1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを15年で追い越すという壮大(無茶)な計画を立案した。しかし、市場原理を無視して人民に厳しいノルマを課し、ずさんな管理の元で無理な増産を指示したため却って生産力低下をもたらした。大躍進政策が始まる前に毛沢東は1956年の百花斉放百家争鳴運動で共産党を批判した知識人達を1957年の反右派闘争で根絶やしにしていため、再度の弾圧を恐れた知識人層は沈黙するしかなかった。しかし1959年の7月から8月にかけて、江西省の廬山における会議(廬山会議)において、共産党の要人・彭徳懐が大躍進の問題点を諫めた。この指摘が、毛沢東の逆鱗にふれ、彭の支持者も含めて政治的に失脚した。この結果、大躍進に意見するものがいなくなるとともに、一層無理なノルマが課されるようになり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。そして、その報告を受け取った毛沢東は更なる増産を命令するという悪循環に陥っていったのである。 実際、これは共産主義勢力の中核であるソ連でも同じであった。ゴルバチョフが「計画、報告、計画、報告……もっと具体的な資料や案は出せないのか!」とソ連共産党幹部を叱責するまで、基本的に共産主義・社会主義国家では実体を伴わない「ノルマ<報告」が続いたのである。