大覚寺
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大覚寺(だいかくじ)
京都市右京区にある真言宗大覚寺派大本山の寺院。本項にて記述。

兵庫県姫路市にある浄土宗の寺院。別項「大覚寺 (姫路市)」を参照。

滋賀県愛知郡愛東町大覚寺にある天台宗の寺院。

茨城県石岡市大増にある浄土真宗本願寺派の寺院。

兵庫県尼崎市にある律宗の寺院。別項「大覚寺 (尼崎市)」を参照。

大覚寺

境内
所在地京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
位置 ⇒北緯35度1分41.65秒
東経135度40分39.87秒

山号嵯峨山
宗派真言宗大覚寺派
寺格大本山
本尊不動明王ほか五大明王(重要文化財)
創建年貞観18年(876年
開基嵯峨天皇
正式名旧嵯峨御所 大覚寺門跡
別称大覚寺門跡、旧嵯峨御所
札所等真言宗十八本山5番
近畿三十六不動尊13番
文化財後宇多天皇宸翰御手印遺告、後宇多天皇宸翰弘法大師伝(国宝)
正寝殿、絹本著色五大虚空蔵像、木造五大明王像5躯ほか(重要文化財)
 ・編・歴 

大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。

寺の境内(大沢池など)では映画テレビ(特に時代劇)などの撮影がよく行われている。
目次

1 歴史

2 伽藍

3 大沢池と名古曽の滝

4 文化財

4.1 国宝

4.2 重要文化財


5 アクセス

6 参考文献

7 関連事項

8 外部リンク

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歴史

嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされる。嵯峨天皇が死去してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。淳和天皇の皇子(嵯峨天皇には孫にあたる)恒貞親王(恒寂(こうじゃく)法親王、仁明天皇の廃太子)を開山(初代住職)とした。

鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれた。なかでも、後宇多法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため、「中興の祖」と称されている。亀山法皇・後宇多法皇の系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた。この両系統が対立したことが、後の南北朝分裂につながったことはよく知られる。元中9年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも、ここ大覚寺においてであった。

このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気がただよっている。御所跡地が国の史跡に指定されている。


伽藍大沢池より心経宝塔を望む

皇室ゆかりの寺院である大覚寺には、宮廷風の建築や皇室ゆかりの建物を移築したものが多い。伽藍の中軸線上には南から勅使門(唐門)、御影堂、心経殿が建ち、御影堂の東に五大堂、西に宸殿、宸殿の北側に正寝殿が建つ。これらの建物の間は屋根付きの廊下で結ばれている。伽藍の中心部に位置しているのは、本堂にあたる五大堂ではなく、嵯峨天皇ほかの歴代天皇が書写した般若心経を収める心経殿である点が注目される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki