大竹英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、囲碁棋士。福岡県北九州市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。碁聖位連続6期で名誉碁聖を名乗る。厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年でライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。
2007年に日本棋院副理事長就任。
目次
1 経歴
1.1 タイトル歴
1.2 その他の棋歴
2 受賞等
3 竹林杯
4 著作
5 その他
6 外部リンク
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1951年9歳のときに、柳川市で行われた呉清源と藤沢庫之助の対局の立ち会い人として来ていた木谷實と井目で試験碁を打って認められ、同年木谷門に入門する。1956年入段。
1957年に早碁トーナメント戦で初優勝するなど、若手棋戦で活躍。1967年に日本棋院第一位決定戦で坂田栄男に挑戦し、2勝1敗で初タイトルを取る。2連覇後に、これが発展した全日本第一位決定戦では、終了までの5期全てでタイトル者となった。1970年九段。1975年に木谷門の弟弟子であった石田芳夫に名人戦で挑戦し、4勝3敗で奪取する。翌年から朝日新聞主催となった名人戦での3期在位を含め、1980年に趙治勲に敗れるまで6年連続で七番勝負出場。1982?84年には趙治勲に3年連続挑戦、1984年は3連勝後4連敗を喫した。全日本第一位決定戦の後継棋戦である碁聖戦では、第1期(1976年)は加藤正夫の挑戦を受け敗れるが、1980年から5連覇して名誉碁聖の資格を得、連覇記録は1985年までの6連覇に伸ばした。名人戦に比べて不思議に本因坊戦には縁が薄いと言われていたが、1988年に武宮正樹本因坊に挑戦、3-4で敗れる。
1992年には富士通杯に優勝、1993年には応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦の決勝に進むが徐奉洙に2勝3敗で敗れ準優勝、1994年にはテレビ囲碁アジア選手権戦で優勝。日中スーパー囲碁では、第2、7、10、11回に日本の主将を務め、第10回には5人抜きした常昊を止めて自らも4人抜きを果たすが馬暁春に敗れ、第11回には常昊に敗れ6人抜きを許した。
通算タイトル獲得数は48。門下に西村慶二七段。木谷門下の塾頭格として、後輩の指導などでも評価が高い。
国際棋戦
世界囲碁選手権富士通杯 1992年
テレビ囲碁アジア選手権 1994年
国内棋戦
早碁トーナメント戦 1957年
青年選手権戦 1961年
新鋭選抜トーナメント戦 1962年
首相杯争奪戦 1965年
日本棋院第一位決定戦 1967-68年
NHK杯 1968、71、73、80、94年
十段 1969、80-81、93-94年
全日本第一位決定戦 1970、71、73、74、75年
達人杯争奪戦 1970年
早碁選手権戦 1974、76年
名人(旧) 1975年
王座 1975年
名人 1976、78-79年
碁聖 1978、80-85年
鶴聖戦 1981、83、84、87、88年
日本アジア航空杯 1981年
NEC杯 1987、89、96年
IBM早碁オープン戦 1989年
竜星戦 1991年
JT杯星座選手権戦 1999年
その他の棋歴
応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 準優勝 1983年
王座戦 挑戦者 1969、83年
棋聖戦 挑戦者 1981、90年
名人戦 挑戦者 1982-84、90、92-93年
十段戦 挑戦者 1985年
本因坊戦 挑戦者 1988年
日中スーパー囲碁
1986年 0-1(×聶衛平)
1993年 出番なし
1995-6年 4-1(○常昊、○兪斌、○劉小光、○曹大元、×馬暁春)
1996年 0-1(×常昊)
受賞等
2005年 紫綬褒章受賞
「囲碁クラブ」及び「碁ワールド」誌上にて1999年から2001年まで、林海峰とともに竹林杯戦を企画、実施。主催は1999年は「囲碁クラブ」・「碁ワールド」誌、2000-01年は「碁ワールド」誌。
1999年、2000年は、精鋭八強戦として、若手選抜棋士8名によるトーナメント、2001年はチーム別・四世代対抗戦。この2001年第3回には大竹、林も選手として参加し、大竹は決勝で羽根直樹に敗れるも準優勝を飾った。
著作
『親仙徳・大仙知 (日本囲碁大系7)』 筑摩書房 1977年
『大竹英雄打碁選集 (全5巻)』朝日新聞社 1984年
『大竹英雄 (現代囲碁名勝負シリーズ5巻)』講談社 1986年