大田弘子(おおた ひろこ、1954年2月2日 - )は、経済学者。専門は、財政学、経済政策。政策研究大学院大学教授、元内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)。
目次
1 概要
2 物価安定政策会議
3 巨額累積赤字下での法人減税論者
4 語録
5 経歴
6 著作・編著
7 論文
8 関連項目
9 脚注・参考資料
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女性初、民間出身者としては2人目の内閣府政策統括官。2006年9月26日には安倍内閣の内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)に就任した。実際の政策立案も行う。大阪大学教授(当時)の本間正明とも仕事上親しく、本間に引き上げられて学者の道に入った。酒豪としても知られる。バランス感覚にも優れており、政治家からの評判も良い。政策は竹中平蔵のものをほぼ踏襲。2007年8月27日、安倍内閣改造内閣に内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)として留任し、同年9月26日、福田康夫内閣に再任した。
東京ではタクシー運賃改定の際は物価安定政策会議を開催するが、2007年同会議では冬柴鐵三国土交通相の賛成に対し大田弘子が反対をしたため、物価安定政策会議が2度も開催されてしまうという前例のない事態になった。
大田弘子氏は経済財政担当相在任中の2008年7月25日、日本政府が巨額の財政赤字に あえいでいる折に、都内で行われたセミナーで、日本は法人税の引き下げを含め、 企業のコストを下げる必要があるとの認識を示した。
2008年1月18日衆議院本会議における経済演説において、「残念ながら、もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と述べた[1]。厳しい現状分析をすることで、国民の危機意識を煽り、高い国際競争力を挽回しようという叱咤激励の意図があったとされる。しかし、発言の重大さにもかかわらず、大田大臣及び福田内閣がそのような状況を打破するような経済対策を示せない政府に対して、マーケット関係者の反応は厳しく、その後の株価下落にも影響した。
経歴
1954年2月2日鹿児島県鹿児島市平之町生まれ
1972年 鹿児島県立鶴丸高等学校卒業
1976年 一橋大学社会学部卒業(南博ゼミナール)
1976年 株式会社ミキモト勤務
1981年 財団法人生命保険文化センター研究員(-93年)
1993年 大阪大学経済学部客員助教授
1996年 埼玉大学大学院政策科学研究科助教授
1997年 政策研究大学院大学大学院政策研究科助教授
2001年 政策研究大学院大学大学院政策研究科教授
2002年 内閣府政策統括官(経済財政-景気判断・政策分析担当)付参事官
2003年 内閣府大臣官房審議官(経済財政-景気判断・政策分析担当)
2004年 内閣府政策統括官(経済財政-景気判断・政策分析担当)
2005年 政策研究大学院大学教授、内閣府政策参与(非常勤)、郵政民営化委員会委員
2006年 内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当、安倍内閣)
2007年 内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当、安倍内閣改造内閣)留任
2007年 内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当、福田康夫内閣)再任
2008年 福田改造内閣発足に伴い内閣府特命担当大臣退任
2008年8月 政策研究大学院大学教授[2]
著作・編著
『リスクの経済学』 東洋経済新報社、1995
『日本的雇用と国民生活』(共著)東洋経済新報社、1998
『民からの改革』(共編著)清文社、1998
『「官」から「民」へのパワーシフト』(共編著)TBSブリタニカ、1998
『市場重視の教育改革』(共著)日本経済新聞社、1999
『良い増税 悪い増税』 東洋経済新報社、2002