大塚淳
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大塚淳現在現役選手
所属球団東京ヤクルトスワローズ
国籍 日本
出身地茨城県土浦市
生年月日1984年6月8日(24歳)
身長
体重173 cm
70 kg
血液型A型
守備位置内野手
投球・打席右投右打
プロ入り年度2002年
ドラフト順位11巡目
背番号67
英語表記OHTSUKA
年俸500万円(推定)
経歴土浦第三高校-
東京ヤクルトスワローズ
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詳細はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#Infobox MLB playerを参照

大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県土浦市出身の東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(主に二塁手遊撃手などだが、三塁手中堅手も含めてどこでも守る)。右投げ右打ち。背番号は67。
目次

1 人物・略歴

1.1 アマチュア時代

1.2 プロ入り後


2 プレイスタイル

3 エピソード

4 関連項目

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人物・略歴


アマチュア時代

土浦三高では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将をつとめる。

主将として参加した2001年秋の県大会で準優勝。関東大会でもベスト8に残っている。2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。3年夏は県大会4回戦で敗退した。

2002年ドラフト11巡目でヤクルトに入団。高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。


プロ入り後

2003年?2004年シーズンは体力作りにあて、主に代走・守備要員としての出場が続いた。

2005年春のキャンプにおける守備練習中に、打球を顔に受け骨折。幸いシーズン中に復帰を果たしたが、二遊間はドラフトでの指名も多く、競争相手の多いポジションである。それだけに2006年末まではファームでもレギュラーを掴みきれなかった。

2007年田中浩康飯原誉士の一軍定着もあって、二軍での出場機会が増えている。安打数・盗塁数などで自己最多となる結果を残した。8月18日から行われる北京五輪テスト大会の派遣選手に選ばれ、チームの主将に指名されている。


プレイスタイル

打撃が課題とされるが、入団当初の一見しての非力さは解消されてきた。短く持ったバットから、鋭い打球を見せる。脚力は水準以上のものがあり、ファームでは盗塁や三塁打も記録している。

元々は二遊間でプレイしていたが、二軍の野手不足を補うため、本職とは違う三塁手や外野手としてもプレイしている。どこのポジションも献身的にこなしており、捕手を全部使い切った時に急造捕手として出場した事もあった。結果としてユーティリティプレイヤーとして自らの価値を高めている。

真面目な性格から、チームや内野のまとめ役として働く場面も見られる。


エピソード

父・大塚徹もかつてヤクルト南海でプレーしたプロ野球選手。サヨナラ押し出し四球の日本記録(通算4回)保持者。

2002年のドラフト会議で、ヤクルトは11巡目の大塚までで計10人を指名した。ヤクルトの10人以上の指名はドラフト会議創設直後の第七回(1971年)まで遡る必要がある。この年は大塚を含めて10人全員が入団しているが、ドラフト会議創設直後は、入団しなかった選手も多かった為、1970年の12人に次ぐ、ドラフト導入以降2番目の大量入団の年となった。

真面目さと練習熱心で知られ、2007年現在目立った実績は無いものの飛躍に期待する声も多い。


関連項目

茨城県出身の人物一覧

東京ヤクルトスワローズの選手一覧

・話・編・歴東京ヤクルトスワローズ - 2008

監督88高田繁

コーチ80小川淳司(ヘッド)|77八重樫幸雄(打撃)|73大田卓司(打撃)|72荒木大輔(投手)|84伊藤智仁(投手)|83馬場敏史(内野守備走塁)|85飯田哲也(外野守備走塁)|71中西親志(バッテリー)|81長田孝幸(コンディショニング)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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