大塚博堂
おおつか はくどう
基本情報
出生名大塚博堂
おおつか ひろたか
別名大塚たけし
ジョルジュ・滝
出生日・地1944年3月22日
血液型A型
学歴東洋音楽大学中退
出身地 日本大分県別府市
死没日・地1981年5月18日(満37歳没)
ジャンルJ-POP
職業シンガーソングライター
担当楽器ギター・ピアノ・ベース・パーカッション(ボンゴ)
活動期間1972年 - 1973年大塚たけし
1976年 - 1981年大塚博堂
レーベルワーナー・パイオニア(1972?1973)大塚たけし
日本フォノグラム (1976?1980)大塚博堂
東芝EMI(1980?1981)大塚博堂
事務所渡辺プロダクション
影響ジョニー・ハートマン
ジョルジュ・ムスタキ
表・話・編・歴
大塚 博堂(おおつか はくどう、1944年3月22日 - 1981年5月18日)は、ニューミュージックのシンガーソングライター。本名:おおつか ひろたか(漢字同じ)。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。活動時の所属事務所は渡辺プロダクション。
以下の表記は、「博堂」で統一する。
目次
1 人物
2 経歴
3 略歴
3.1 没後・イベント
4 作品
4.1 EP
4.1.1 大塚たけし
4.1.2 大塚博堂
4.2 LP
4.3 CD
5 提供曲
6 競作曲・カバー曲
7 未発表曲
8 スクランブル・ダスティン・バンドのメンバー
9 マスコミ出演記録
10 ライブ、コンサートの記録
11 参考資料・単行本
12 大塚博堂追悼曲
13 関連人物・項目
14 関連外部リンク
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1972年に「大塚たけし」名義で歌手デビューするも、不発。その後クラブでの弾き語りの活動などが評判になり、1976年(昭和51年)6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳の再デビュー。これが評価され、遅咲きながらも『めぐり逢い紡いで』、『過ぎ去りし想い出は』や『季節の中に埋もれて』などの曲で活発な音楽活動を行ったが、1981年(昭和56年)5月18日に脳内出血のため37歳で急逝した。5年間の活動に凝縮された彼の曲は、レコード化されたものが約80曲、没後に発表されたものを含めて約90曲である。その他、小野寺昭、岩城滉一やペギー葉山など他歌手に提供した歌が40曲ほどある。
ステージ活動を中心にして全国を回り、"愛を唄う吟遊詩人"として徐々に人気を高めていった。ファン層は20代を中心とした女性が多く、コンサートでは涙を流しながら博堂の歌を聴く女性ファンが多かったと伝えられている。トレードマークのヒゲとサングラスで、低音から高音まで幅広い音域と、抜群の歌唱力で唄いあげる博堂のコンサートは、年間100ヶ所以上を数えた。
初期の作品は、デビュー曲『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を作詞した藤公之介と組んだものが多かったが、3枚目のアルバム『もう少しの居眠りを』から作詞家るい(本名:小坂洋二)が登場する。るいは博堂が所属する渡辺プロダクションの社員で、博堂担当のマネージャーだった。また、後期は山川啓介と数曲組んでいる。そして最後のアルバム『感傷』では、全作品の作詞を阿久悠が行っている。
博堂の没後も、曲を唄い継いでいる歌手達がいる。主にシャンソン系の歌手が、自分のライブなどで唄うことが多いが、大塚郷、田口徹、山田友人など、主に博堂の歌を唄って「博堂シンガー」を名乗り活動している歌手もいる。