大和川
近鉄道明寺線鉄橋(柏原市安堂付近)
水系一級水系 大和川
種別一級河川
延長68 km
水源の標高822 m
平均流量13.51 m3/s
(柏原観測所 1994年)
流域面積1,070 km2
水源貝ヶ平山(奈良県)
河口、合流先大阪湾(大阪府)
流域奈良県・大阪府
各項目について
大和川河口付近の航空写真
大和川(やまとがわ)は、奈良県および大阪府を流れ大阪湾に注ぐ一級水系の本流。
目次
1 地理
2 治水・流路変更の歴史
2.1 江戸時代の付け替え計画以前
2.1.1 仁徳天皇による堀江掘削
2.1.2 和気清麻呂の工事
2.1.3 中世
2.1.4 江戸時代初期
2.2 江戸時代の川違え(付け替え)工事
2.2.1 付け替えによる影響
2.3 亀の瀬地滑り
3 流域の自治体
4 主な支流
5 伝説
6 関連項目
7 参考資料
8 外部リンク
//
奈良県桜井市の北東部、貝ヶ平山(かいがひらやま、標高822m)近辺を源流としており、上流部では初瀬川と称される。奈良盆地を西に向かって流れつつ、佐保川、曽我川、葛城川、高田川、竜田川、富雄川など盆地内の大半の河川を生駒山系の手前までに合わせる。生駒山系と葛城山系の間を抜けて、大阪平野にでると柏原市で南河内を流れてきた石川と合流してまっすぐ西へと流れ、大阪市と堺市の間で大阪湾に流れ込んでいる。
奈良県から大阪府へ抜ける峡谷は、「亀の瀬」と呼ばれる地滑り多発地帯。同区間を走る関西本線(大和路線)や国道25号も過去に度々被害を受け、関西本線は路線を付け替えている。
また流域の奈良県などで下水道普及が遅れているなどの原因で、日本で最も水質が悪い河川である。しかし、現在は以前と比べて水質が大幅に改善されており、環境省の水質基準も満たしている。2007年11月には、アユの産卵も確認された。
かつては生駒山系を抜けて現在の柏原市付近で石川と合流すると、その流れに乗るように北へ流れ、河内平野に大きな湖(草香江(くさかえ)、または河内湖)をつくって古い時代の淀川を合わせ、上町台地の北で海へと出る流路を為していた。河内湖は次第に土砂により埋まり、河内平野へと変わっていったが、基本的にはこの一帯は上町台地にさえぎられた低い湿地帯であり、江戸時代までは大和川の分流や多くの池を残していた。
江戸時代半ばごろまでの古い大和川は、柏原市の北で長瀬川(久宝寺川ともいう、本流)・楠根川・玉串川(吉田川と菱江川に分流)など幾筋にも分かれ、吉田川など一部は寝屋川が注ぎ込む深野池(大東市周辺)・新開池(東大阪市の鴻池新田周辺)の両池に注ぎこんでいた。これらの池の水と長瀬川本流は現在の大阪市鶴見区放出周辺で合流し、さらに淀川支流の古川、同じく河内平野を流れる平野川と次々合流しながら上町台地の北(現在の天満橋の辺り)でやっと淀川(大川)本流に合流していた。淀川はそこからまた安治川や木津川など多くの川に分かれ、デルタ地帯を形成しながら海へ流れていた。
これら大和川の支流は土砂が堆積した天井川で、たびたび河内平野は氾濫の被害にあった。河内平野の洪水防止や農業開発を目的として流路を西へ付け替える構想は古くは奈良時代以前からあり、治水工事の歴史は古墳時代に遡る。
『日本書紀』巻十一の仁徳天皇十一年十月の条に、『宮(高津宮)北の郊原を掘りて、南の水(大和川)引きて西の海(大阪湾)に入る。困りて其の水を号けて堀江という。又、将に北の河のこみを防がんとして、以て茨田堤を築く』とあり、上町台地の北端、現在の大阪城の北側の大川から中之島方面へ通じる水路を掘ったとされ、大和川の排水を促す工事としては最初のものであり、淀川左岸の築堤とともに日本で初めての大規模治水工事と考えられている。