この項目では宮城県に存在した大倉村について説明しています。
山形県に存在した大倉村については北村山郡#歴史をご覧ください。
新潟県に存在した大倉村については中頸城郡#沿革をご覧ください。
千葉県に存在した大倉村については香取郡#沿革をご覧ください。
旧・大倉村廃止日1889年4月1日廃止
廃止理由新設合併
大倉村、芋沢村 → 大沢村
現在の自治体仙台市(青葉区)
データ
国日本
地方東北地方
都道府県宮城県
令制国陸奥国→陸前国
郡宮城郡
人口-人
(1875年)918人
(2000年)
隣接自治体宮城県宮城郡作並村、熊ヶ根村、上愛子村、
芋沢村、福岡村、田中村、黒川郡吉田村
、加美郡、山形県北村山郡鶴子村
■日本の市町村pj
大倉村(おおくらむら)は、1889年まで宮城県宮城郡の北西部にあった村である。広瀬川の支流大倉川の流域にあり、1889年に合併して大沢村の一部になった。現在の仙台市青葉区の北西部にあたる。山村だが、自動車の便がよくなった現在では大倉ダムと定義如来により仙台市民にとって身近な行楽地である。
この記事では合併後の大倉地区についても記述する。
目次
1 地理
2 歴史
3 人口
4 産業
5 交通
6 教育
6.1 大倉小学校
6.2 大倉中学校
7 宗教
7.1 寺院
7.2 神社
8 名所など
9 注
10 関連項目
11 参考文献
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宮城県中部にある宮城郡の西部山地帯にあり、北西端の山形県との県境に船形山が聳える。村の西部は船形山まで続く山林である。人の居住域は、広瀬川の支流大倉川の流域と、その隣を流れる青下川の流域にわかれる。大倉村は両川の流域にまたがるが、その全部ではなく、広瀬川への合流点付近では両川の間にはさまれた土地だけが大倉村に属する。大倉川左岸は芋沢村、青下川右岸は熊ヶ根村である。また、峠を越えたところにある北東部は七北田川に面し、川を下ったところにある根白石村(現在の泉区西部)との関係が強かった。
大倉川沿いにところどころ山で狭められて数珠繋ぎになった河岸段丘に集落がある。もっとも下流は青下川と大倉川にはさまれた台地、中流部は現在大倉湖があるところで、幅が広かった。そこからさらにさかのぼった谷間には定義如来と集落がある。もっとも奥の河岸段丘は十里平で、これが大倉川沿いのもっとも奥の集落でもある。定義如来から北に、支流の湯川を上ったところに定義温泉がある。青下川上流の谷間には青下、中流部の河岸段丘には大手門がある。七北田川沿いの北東部には白木がある。
日向、定義、下倉、大手門、白木は、大沢村の成立とともに設けられた行政区である。後、日向の西に大倉栗生が設けられて6区になった。その下に多くの小字があり、その数は明治時代に160あったが、しだいに減少した。
1961年に大倉ダムが完成してからは、このダムと大倉湖が特徴的な地形として日向、栗生の間に広がる。ダムの川下は公園である。
山 - 船形山
川 - 広瀬川、大倉川、青下川、七北田川
湖沼 - 大倉湖( 大倉ダム)、(七北田ダム)
大倉川流域と青下川流域には縄文時代の遺跡が散在し、石器や土器が見つかっている。
戦国時代に大倉を含めた宮城郡西部は国分氏の領地であった。廃城を記録した江戸時代の『仙台古城書上』大倉村の箇所に「おかな館城」があるが、どこにあったのか、後述の館のどちらかにあたるのかなどは不明である。『安永風土記書上』には、下大倉館と大原館が古館として記されている。戦国時代には大原館に作並宮内、下大倉館には大倉氏が居住した。国分氏滅亡後、大倉蔵人が伊達政宗に仕えたが、1590年(天正19年)に葛西大崎一揆の佐沼城攻めで戦死して家名が絶えた。しかしその兄弟が関氏を名乗り、子孫が大倉に居住して、幕末まで在郷武士として続いた。
江戸時代の大倉村は豊かな山林資源を持っていた。山林が多いのは周辺の村も同様であったが、そこでは藩有の林の比率が高かったため、村人が自由に利用できなかった。そのため、大倉村の山が大倉村、熊ヶ根村、作並村、愛子村、郷六村、芋沢村の入会地として利用された。仙台の町が発展すると、薪炭を産する山林は財産的価値を高め、境界争いが起こった。