大中臣清麻呂(おおなかとみ の きよまろ、大宝2年(702年) - 延暦7年7月28日(788年9月6日))は、奈良時代の公卿。父は中臣意美麻呂。名は清万呂・浄万呂・清麿とも書く。大中臣氏の祖。
762年(天平宝字6年)文部大輔・式部大輔として淳仁天皇の勅旨を宣伝し、12月参議に任じられた。765年(天平神護元年)神祇伯のとき、従三位に叙せられた。初め中臣氏を称したが、769年(神護景雲3年)大中臣の姓を賜った。771年(宝亀2年)1月、大納言の時光仁天皇の皇子他戸親王の東宮傅となり、3月には従二位右大臣に任じられた。以後、780年(宝亀11)末まで太政官首班を勤める。772年(宝亀3年)2月に正二位となる。781年(天応元年)6月に職を辞し、788年(延暦7年)に87歳で死去。
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更新日時:2008年7月10日(木)13:40
取得日時:2008/07/27 15:39