壁画(へきが)は、建築物や洞窟の壁・天井などに描かれた絵画。
人類の最も古い絵画は、洞窟の凹凸を利用して描いた壁画(洞窟壁画)であり、人類が建物を作るようになって以後もその壁面に絵画が描かれるなど、絵画は居住空間や神聖な空間の壁と切り離せない存在だった。絵画は次第に洞窟や建物の壁面から離れ、独立した板や布(タブロー)に描かれるようになった。しかし、多くの人が同時に見ることができ、しかも空間全体を変容させて見る人を包み込む効果のある壁画・天井画は、今でも数多く制作されている。
目次
1 古代から中世
2 近代の壁画
3 壁画で知られる遺跡
3.1 洞窟壁画の事例
3.2 古墳石室壁画の事例
3.2.1 日本(装飾古墳)
3.2.2 日本以外
4 寺院壁画の事例
4.1 日本:飛鳥時代
4.2 日本:奈良時代
4.3 日本:平安時代
4.4 日本:鎌倉時代
4.5 日本以外
5 関連項目
6 外部リンク
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古代から中世メキシコ、カカシュトラ遺跡の壁画、捕虜を捕らえた場面(後古典期はじめごろ)メキシコ、チアパス州のマヤ遺跡ボナンパックの壁画
世界中の遺跡から壁画は出土している。石器時代の洞窟の天井や側面に描かれた洞窟壁画は、現存する人類最古の絵画である。これら洞窟壁画はさまざまな色の土を顔料に使い、洞窟内の凹凸を利用して描かれ、おそらく祭祀などに使われたものと思われる。
歴史時代に入ると、墳墓や建物の壁面が絵で飾られるようになった。アジアではインドや中央アジアの石窟などに仏教壁画が描かれ、中国や朝鮮、そして日本の仏教美術に影響を与えた。初期の日本の古墳や寺院の壁画には高句麗などとの手法や技術の共通点も見られる。
西洋では古代エジプト・古代ギリシア・古代ローマの住居などの跡に壁画が見られる。特にサントリーニ島やポンペイ、ヘルクラネウムなど火山災害に襲われて瞬時に埋まった地域では建物の中から保存状態の良い壁画が発見されている。こうした西洋の壁画の技法は「フレスコ」と呼ばれるもので、後にキリスト教会などの壁画や天井画にも使われ、ペンキやスプレーが普及した21世紀でも壁画制作に使用されている。ミケランジェロの作であるバチカンのシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』などは有名である。また、レオナルド・ダ・ヴィンチによるミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画『最後の晩餐』もこの時代の有名な壁画だが、これはテンペラ画であり、食堂という環境もあり劣化が早かった。
メソアメリカでは、チアパス州のボナンパック遺跡(古典期後期)と中央高原のカカシュトラ遺跡(後古典期前期)の壁画がよく知られている。アンデスでは、プレ・インカの時代からリマ文化やモチェ文化などの神殿のやわらかな日干し煉瓦(アドベ)の壁面に施された浮き彫りに彩色されている事例のほかにエル=ブルーホ、パニャマルカがなどで直接彩色した壁画が見られる。またモチェより後に北海岸で北方のヘケテペケ川中流域のバタン=グランデを中心に10世紀ごろ繁栄したシカン文化のベンタナス神殿にも見られる。
古代の壁画は、遺跡や墳墓の発掘調査の進展と共に多く見つかるようになっているが、長年外気や湿気に触れなかった繊細な壁画はカビや光で痛む可能性があるため、どのように保護し、また観覧に供するかは今後の課題である。ラスコー洞窟は観覧者の吐く息の二酸化炭素や持ち込んだカビ類で洞窟壁画が傷み、閉鎖されているが、これは保存が間一髪で間に合った幸運な例である。
近代の大衆社会になって、壁画は学のない人々にも主義主張を視覚的に伝える手法として重視された。労働運動、民族主義、紛争解決の祈りなどの主張のため、工業地帯や紛争地などにも壁画が描かれている。1910年以後、メキシコでは民衆にメキシコ人のアイデンティティーとメキシコ革命の主張を伝えるために壁画が多く描かれる様になった。