2008年7月4日阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本
出身地愛知県春日井市
生年月日1988年9月23日(19歳)
身長
体重182cm
80kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置三塁手
プロ入り2006年 ドラフト1巡目
初出場2008年8月3日巨人戦(ナゴヤD)
年俸850万円(推定)
経歴
愛知工業大学名電高等学校
中日ドラゴンズ (2007 - )
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
堂上 直倫(どのうえ なおみち、1988年9月23日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手)。愛知県春日井市出身。父は元中日ドラゴンズ投手で、現在ドラゴンズの寮『昇竜館』館長の堂上照、兄の堂上剛裕も中日ドラゴンズ所属。「超高校級スラッガー」、「尾張のプリンス」とも呼ばれる。
目次
1 来歴
1.1 プロ入り以前
1.2 プロ入り後
2 関連項目
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小学校時代に、「名古屋北リトル」で野球を始めた。そこでは、投手のほかにも遊撃手の守備についた。中学校時代でも、知多中学校に在学し、「名古屋北シニア」で遊撃手の守備についたとのこと。 2003年、ナゴヤドームで行われたドラゴンズのファン感謝デーで「リトルシニア東海選抜」の4番遊撃で出場し、投手を務めた福留孝介選手から左翼席へ本塁打を放った。その際、インタビューで「僕もずっと中日ファン。いつかはここでプレーしたいと思っている」と語っており、現実のものとなった。
中学卒業後は、野球の名門校として知られる愛知工業大学名電高等学校に入学。1年生からレギュラーを獲得し、2005年春の第77回選抜高等学校野球大会では、4番に座り2本塁打を記録し優勝に貢献した。同年9月には全日本高校選抜として、韓国で行われた第六回アジアAAA選手権大会に参加し、2本塁打で最多本塁打のタイトルを獲得。ポジションは遊撃手、選抜優勝時には三塁手だった。高校通算55本塁打で、他校の捕手からどこに投げても打たれるから投げる球が無いと言わせるほどのバッティングセンスの持ち主。
2005年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、豊田大谷高校とのナゴヤドームでの決勝戦でホームランを放った。 2006年夏の甲子園に向けた愛知県大会では、10四球と勝負を避けられる場面が多かったが、14打数7安打と打率5割を記録し県大会優勝の原動力として活躍。しかし、本大会では初戦敗退を喫した。 高校時代の甲子園3大会(2005年春、2005年夏、2006年夏)の通算打率は.480。
2006年ドラフト会議にて、中日、阪神、巨人の3球団から1順目指名(これは松井秀喜(現ヤンキース)以来14年ぶり)を受け、中日が抽選で交渉権を獲得した。父・兄と同じチームに入ることになった。親子3人がプロ野球選手かつ同一球団に所属というのは史上初である。入団時の背番号は24。
高卒ルーキーながら応援歌が作成された(高卒ルーキーは森岡良介以来)。兄・剛裕も応援歌が作られた。
2007年は一軍出場はなかったが、ウエスタンリーグでは出場試合数の8割近くを4番・サードで先発出場するという英才教育をほどこされた。打率は低迷したが、本塁打と打点はチーム2位と、長打力と勝負強さの片鱗はのぞかせている。また、ファームの本拠地であるナゴヤ球場の入場者数が前年比で3割以上増加し、集客面での貢献も指摘される。[要出所明記]
2007年オフに福留孝介が退団したのに伴い、2008年より背番号を24から1に変更、継承することになった。背番号1は兄・剛裕に継がれるという噂が多くあり、ファンの中でもまだ早いという意見が多かった。[要出所明記]
関連項目
愛知県出身の人物一覧
中日ドラゴンズの選手一覧
兄弟有名人一覧
表・話・編・歴中日ドラゴンズ - 2008
監督66落合博満
二軍監督85辻発彦
コーチ81高代延博(野手総合チーフ) | 80森繁和(バッテリーチーフ) | 89高橋三千丈(投手) | 78小林聖始(投手) | 76近藤真市(投手) | 72田村藤夫(捕手) | 86古久保健二(捕手) | 79長谷部裕(捕手) | 88高柳秀樹(打撃) | 77宇野勝(打撃) | 75石嶺和彦(打撃) | 71川相昌弘(内野守備走塁) | 74風岡尚幸(内野守備走塁) | 82奈良原浩(内野守備走塁) | 73笘篠誠治(外野守備走塁) | 83音重鎮(外野守備走塁) | 90三木安司(トレーニング) | 93宮前岳巳(トレーニング) | 91塚本洋(トレーニング) | 92勝崎耕世(コンディショニング) | 94住田ワタリ(コンディショニング) | 84早川和夫(育成)