堀幸一
★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[Wikipedia|▼Menu]

堀 幸一
千葉ロッテマリーンズ No.5
基本情報
国籍 日本
出身地長崎県長崎市
生年月日1969年4月2日(39歳)
身長
体重180cm
82kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置内野手外野手
プロ入り1987年 3位
初出場1988年
年俸8800万円
経歴


長崎海星高

千葉ロッテマリーンズ

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手
この項目ではプロ野球選手の堀幸一について記述しています。経営者の堀紘一については堀紘一をご覧ください。

堀 幸一(ほり こういち、1969年4月2日 - )は、長崎県長崎市出身のプロ野球選手。千葉ロッテマリーンズ所属。ポジションは二塁手だが、遊撃手三塁手一塁手外野手もこなす。背番号は5番。

右打ち(流し打ち)の技術には定評があり、状況に応じたベテランらしいバッティングが持ち味。一定の長打力と打率を残す力を兼ね備えていることもあり、後述のようにその年によって様々な打順を打っている。打撃に関しては便利屋としての側面を持っている。 守備も内外野をソツなくこなすため様々なポジションに収まった経験があるが、近年は本職の二塁手としての出場がほとんどである。
目次

1 来歴・人物

2 エピソード

3 略歴

4 成績

5 タイトル・表彰・記録

6 脚注

7 関連項目

//


来歴・人物

1987年 長崎海星高等学校では3年春に3番打者として夏の甲子園に出場。ドラフト3位でロッテオリオンズに指名され、入団(背番号45)。

1989年 2年目から開幕当初より一軍に定着。4月14日の近鉄戦で谷崎浩二から初ヒットを放つ[1]

1991年 背番号5に変更。レギュラーとして20本塁打を記録し、頭角を現す。4番も打ち、“年俸が一番安い4番打者”と言われた。

1995年 シーズン打率リーグ2位を記録。

1996年 シーズン打率リーグ3位を記録。

1998年 通算して1番から9番までの全打順本塁打を達成。

2003年 自己最高の22本塁打をマーク。この年だけで全打順スタメン出場。打順は2番以前か5番が多かったが、後半戦は4番打者として活躍。

2005年 主に2番打者として活躍し優勝に貢献。規定打席にシーズン終了間際で到達し、9年ぶりに3割打者となった。この年の規定打席(421打席)を丁度満たしていた。パ・リーグ二塁手部門でベストナインを獲得。18年目での初受賞であり、パ・リーグ最年長初受賞(当時)となった。

2006年 調子を落とし、打率2割台前半に落ち込む。

2007年 7月7日に今季1号本塁打を放ち、有藤道世が持っていた18年連続本塁打のチーム記録を更新し、19年連続本塁打継続中となった。また守備では、青野毅の故障、今江敏晃の不調などにより久々に三塁手でスタメン出場した。ホセ・オーティズの加入で出番が減ってしまう。2000安打まであと221安打。

2008年 4月12日に途中出場ながら初の一塁手の守備についた。その後一塁手を守れる選手が相次いで故障したのもあり、出番が増加。8月20日北海道日本ハムファイターズ戦では一塁手で先発出場し、史上40人目(球団史上3人目)の2000試合出場を果たした。


エピソード

高校時代の堀は投手で、この時代鹿屋中央高等学校と練習試合をしたが、この試合で亀山努に本塁打を打たれた苦い経験を持つ。

入団直後のファームのキャンプでは1年上の佐藤幸彦や同期の大村巌のバッティングに圧倒され自信を喪失した。また長崎の両親も3年ともたないだろうと周囲に漏らしていた[1]

小宮山悟と並び、ロッテオリオンズ以来の生え抜き現役選手である。


★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki