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才谷梅太郎はこの項目へ転送されています。同名義で活動していたアニメーターについては逢坂浩司を、漫画家については才谷ウメタロウをご覧ください。
坂本龍馬
1836年1月3日 - 1867年12月10日
坂本龍馬
生年:1836年1月3日
生地:土佐
没年:1867年12月10日
没地:京都
活動:倒幕
藩:土佐藩脱藩
所属:海援隊
廟:京都霊山護国神社
靖国神社
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日)は、幕末の日本の政治家・実業家。土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動した。贈官位、正四位。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公とされて以来、国民的人気を誇っている。また、その事跡についてはさまざまな論議がある。
諱は直陰のち直柔(なおなり)。龍馬は通称。他に才谷梅太郎などの変名がある。「龍馬」は慣用音(『広辞苑』第5版)では「りゅうま」だが、漢音は「りょうま」で、同時代人の日記や書簡に「良馬」の当て字で記されていることもあり、また龍馬自身も書簡の中で「りよふ」と自署していることもあるため、「りょうま」と読まれていたことは間違いない。なお、「竜」は「龍」の異体字(「竜」は「龍」の古体字)で、龍馬自身は「竜」の字体を使ったことがないが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で使われたことや、「竜」が常用漢字に採用されたこともあり、慣用化されている。
むしろ生前より死後に有名になった人物であり、司馬遼太郎の作品を始め、小説やドラマに度々取り上げられる人物ではあるが、それらは実際の龍馬とかけ離れているのではないかという指摘は多い。歴史家の中に、特にそのような指摘をする人は多く、松浦玲などが代表格[1]。ちなみに、龍馬の伝記を書いた歴史家としては、平尾道雄・池田敬正・飛鳥井雅道などが代表的[2]。その他、詳しくは「文献」の項目を参照のこと。
目次
1 生涯
2 暗殺
2.1 京都見廻組実行説
2.2 新選組犯行説
2.3 薩摩藩陰謀説
3 死後の評判
4 その他
5 逸話
6 同時代の龍馬評
7 家系・家族
8 文献
8.1 原典
8.2 龍馬を研究する上で参考になる主な文献(書籍編)
8.3 龍馬を研究する上で参考になる主な文献(論文編)
8.4 龍馬に関する創作物
9 高知龍馬空港
10 関連人物
11 注釈
12 関連項目
13 外部リンク
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生涯坂本龍馬坂本龍馬坐像
12歳、小高坂の楠山塾で学ぶが退塾。14歳になり高知城下の日根野弁治の道場へ入門し、下士の習う小栗流和兵法を学ぶ。
1846年、母・幸死す。
1853年(嘉永6年)に剣術修行のため江戸(東京都)に出て、桶町の北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉道場(通称:小千葉道場)(東京都千代田区)に入門した。