地歌(ぢうた、地唄)は、上方で行われた三味線を用いた音曲(三味線唄)であり、江戸唄に対する地(地元=上方)の歌であり、盲人が作曲教授したことから法師唄ともいう。長唄と共に「歌いもの」を代表する日本の伝統音楽の一つ。また三曲の一つ。多くの三味線音楽の中でも、最も古くまで遡ることができるもので、多くの三味線音楽の祖であり、義太夫節など各派浄瑠璃や長唄も、もともと地歌から派生したとみなすことができる。多くが人形浄瑠璃や歌舞伎といった舞台芸能と結びついて発展してきた近世邦楽の中で、舞台芸能とは比較的独立している。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 江戸時代初期
2.1.1 三味線の伝来と地歌の発祥
2.2 江戸時代中期
2.2.1 組歌の停滞と長歌の発生
2.2.2 手事物の始まり
2.2.3 端歌の発生と流行
2.2.4 三曲と三曲合奏
2.2.5 謡ものの始まりと諸浄瑠璃の吸収
2.2.6 作ものの発生
2.3 江戸時代後期
2.3.1 手事ものの完成
2.3.2 替手式箏曲の始まりと合奏の発達
2.3.3 京ものの大発展
2.3.4 撥の改良
2.3.5 箏曲独立への胎動
2.3.6 パート間の緊密化
2.4 明治以降
2.4.1 維新後の混乱と地歌の普及
3 音楽的特徴
3.1 内省的な曲が多い
3.2 多音的で多様な合奏法が発達している
3.3 器楽的要素が非常に強い
3.4 三味線の技法
3.4.1 使用する音域が広い
3.4.2 全体に技巧的で、繊細な技法が発達している
3.4.3 転調が多く、調弦変えが多い
3.5 歌唱の技巧
3.5.1 歌の節を聴かせる曲が多い
3.5.2 歌の音域が広い
3.5.3 語りはほとんどない
3.5.4 劇的な表現は少ない
3.6 その他
4 曲種の分類
5 代表的な曲
6 地歌三味線(三弦・三絃)の特徴
7 関連項目
8 外部リンク
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三味線を用いた音楽としては、初期に上方(京阪地方)で成立していた地歌は、元禄頃までは江戸でも演奏されていた。その後、江戸では歌舞伎舞踊の伴奏音楽としての長唄へと変化、また河東節などの浄瑠璃音楽の普及によって、本来の地歌そのものはしだいに演奏されなくなっていった。
幕末までには、京阪を中心に東は名古屋、西は中国、九州に至る範囲で行われた。明治以降には生田流系箏曲とともに東京にも再進出、急速に広まった。現在は沖縄を除く全国で愛好されている。ただし東京では「地唄舞」の伴奏音楽としてのイメージがあり、地唄舞が持つ「はんなり」とした雰囲気を持つ曲という印象を持たれがちであるが、地唄舞は地歌に舞を付けたものであって、最初から舞のために作曲されたものはない。また地唄舞として演奏される曲目は地歌として伝承されている曲の一部であり、地歌の楽曲全体をみれば、音楽的には三味線音楽の中でも技巧的であり、器楽的な特徴を持つ曲も少なくない。
一方、三曲界内部においては、明治維新以来の西洋音楽の導入に伴って、その器楽的部分に影響を受け、江戸時代を通じて器楽的に発達していた「手事物」に注目されることも多い。