土田・日石・ピース缶爆弾事件
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土田・日石・ピース缶爆弾事件(つちだ・にっせき・ぴーすかんばくだんじけん)とは、1969年10月24日1969年11月1日1971年10月18日1971年12月18日東京都で発生した連続爆破殺傷事件である。誤認で逮捕・起訴された被告人18人全員が無罪になった事件でもある。
目次

1 事件の概要

2 捜査の概要

3 裁判の経過・結果

4 事件が与えた影響

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

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事件の概要

1969年10月24日、東京都新宿区若松町の警視庁機動隊庁舎に、ピースの50本入り缶に偽装した爆弾が投げ込まれたが、不発で死亡者・負傷者共に発生しなかった。

1969年11月1日、東京都港区永田町のアメリカ文化センターに、時限爆発装置を装着したやはりピース缶使用の爆弾を梱包した段ボール箱が配達され、アメリカ文化センターの職員1人が負傷した。

1971年10月18日、東京都港区西新橋の日本石油(現在の新日本石油)本社ビル地階郵便局で、警察庁長官(当時は後藤田正晴)宛てと新東京国際空港公団宛ての郵便小包に偽装した爆弾が爆発し、郵便局員1人が重傷を負った。

1971年12月18日、東京都豊島区雑司ヶ谷の土田國保・警視庁警務部長宅で郵便小包に偽装した爆弾が爆発。土田の妻が死亡し、子供1人が重傷を負った。

事件が発生した当時の社会の状況として、1960年代から1970年代にはマルクスの思想・社会統治理論を唯一絶対の真理・正義と認識する人々の比率は、現在と比較して著しく高かった。当時は日本でも世界でも、武力闘争で現体制を打倒して革命を起こし、マルクス主義による統治体制を樹立しようとする武装勢力が日常的に武力闘争を繰り返していた。日本では共産主義者同盟赤軍派連合赤軍日本赤軍東アジア反日武装戦線等の組織が、大菩薩峠事件よど号ハイジャック事件あさま山荘事件ドバイ日航機ハイジャック事件三菱重工爆破事件北海道道庁爆破事件ダッカ日航機ハイジャック事件などを行った(一匹狼の極左活動家による事件も含まれている可能性がある)。


捜査の概要

1972年9月10日、警視庁は赤軍派活動家であるA(当時27歳)を連続爆破殺傷事件とは別件で逮捕した。

1973年1月6日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、B(当時23歳)を逮捕した。

1973年1月8日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、C(当時22歳)を逮捕した。

1973年1月22日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、A、D(当時24歳)、E(当時24歳)の3人を逮捕した。

1973年2月9日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、F(当時23歳)の3人を逮捕した。

1973年2月20日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、G(当時23歳)を逮捕した。

1973年2月20日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、H(当時24歳)、I(当時26歳)の2人を逮捕した。

1973年3月13日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、J(当時25歳)、K(当時27歳)の2人を逮捕した。

1973年3月19日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、L(当時25歳)、M(当時25歳)の2人を逮捕した。

1973年3月29日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、N(当時24歳)、O(当時25歳)の2人を逮捕した。

1973年3月29日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、P(当時27歳)を逮捕した。

1973年4月9日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、Q(当時25歳)を逮捕した。

1973年4月13日、警視庁は連続爆破殺傷事件の被疑者として、R(当時25歳)を逮捕した。

警視庁が連続爆破殺傷事件の被疑者として逮捕した18人のうち、赤軍派活動家だったA以外は、政治活動をしていた人々ではなく、Aと個人的に交友関係があった人々だった。

警察官は逮捕した上記の被疑者18人に対して、警察の尋問室の密室の中で拷問を行い、上記の18人の犯行であるとの先入観と思い込みに基づいて、上記の事件を行ったたとの供述を強要した結果、上記の18人全員から上記の事件を行ったことと、他の17人との共犯関係を認めた虚偽の供述をさせ、警察官の先入観と思い込みに適合する虚偽の供述調書を作成し、その旨を報道機関に公表した。


裁判の経過・結果

各事件ごとに起訴された被告人は下記のとおりである。

爆弾製造 → A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K。

警視庁機動隊庁舎爆破未遂 → A、B、D、E、F、G。

アメリカ文化センター爆破傷害 → A、B、C、D。

日石ビル局爆破傷害 → A、E、H、I、L、R、Q。

土田邸爆破殺人・傷害 → A、E、H、I、L、M、N、O、P、Q。

裁判では18人の被告人は、初公判の時点から、または、公判の途中から、捜査段階で警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件に関していかなる関与もしていない、無実であると主張した。裁判は下記のとおりの経過・結果になった。

この裁判の開始時は18人の被告人全員が分離公判で開始したが、1974年12月にA、E、H、I、N、O、Q、Pの審理を併合して統一公判になり、1975年9月にLの審理も併合して統一公判になり、地裁の審理終了までに286回の公判を行った。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen