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国家神道(こっかしんとう)とは明治から太平洋戦争の終戦までの間に日本政府の政策により成立していた国家宗教、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。「国体神道」・「神社神道」とも、また単に「神社」とも称した。
目次
1 概要
2 近世との関係
3 「国家神道」の語の用例
4 非宗教説・宗教説と教義
5 主な国家神道政策
5.1 神仏分離
5.2 社格制度
5.3 宣教
5.4 人物の顕彰のための神社造営
5.5 靖國神社・護国神社
5.6 神社合祀政策
5.7 海外統治領下の神社造営
5.8 民間信仰禁止政策
5.9 天皇の神格性と「現人神」
6 出来事
6.1 神道事務局 祭神論争
6.2 朝鮮神宮 祭神論争
7 国家神道の終焉
8 国家神道に関する年表
9 脚注
10 参考文献
11 外部リンク
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「国家神道」は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの、狭義には「宗教」とされた「教派神道」に対して内務省神社局によって統制されたものを言う。国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官、教部省による神社行政も含まれる。大日本帝国憲法では文面上は信教の自由が明記されていた。しかし、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という公権法解釈に立脚し、憲法の信教の自由とは矛盾しないという「強弁」をして、これを公式見解としていた。政府による「神社崇拝」の国民への強制の度合いは時代によって異なったが、1930年代初頭から太平洋戦争にかけての時期には、国家神道は戦争遂行の精神的支柱として重視された。官国幣社を内務省神社局が所管し、新たな官国幣社の造営には公金が投入された。村社以上の社格の神社の例祭には地方官の奉幣が行われ、一種の国教的な制度であったとされる。第二次世界大戦後、GHQにより「神道指令」(後述)が出され、国家神道は解体へ向かったが、国家と神道を巡る政教関係については今日に至るまで議論の的となっている。(日本国憲法第20条、信教の自由、政教分離原則、津地鎮祭訴訟参照)
靖国神社は国家神道の象徴的存在とされている。靖国神社は御霊信仰を基盤とし、初めは主に鎮魂を目的としたが、やがて慰霊、さらに顕彰へと展開した。靖国神社は国民統合の精神的中核であり、戦死者を「神」とすることによって戦死を国民に肯定的に受け入れさせた。しかもこれに対する批判は禁止されており、天皇を神格化する国家体制形成を大きく支えた。 [1]
『古事記』『日本書紀』等の古典を根拠として万世一系の天皇が日本を統治すること、国家の中心に存在する天皇と国民との間に伝統的な強い紐帯があることを前提に、全国の神社は神祇官の元に組織化され、諸制度が整備された。