国共内戦
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国共内戦(こっきょうないせん、中:国共内?、英:Chinese Civil War)は、中華民国政府率いる中国国民党軍中国共産党軍との間で行われた内戦である。共産党軍が勝利し共産党が政権を奪取し共産党政府が設立される結果となったことから見れば、社会主義革命でもある。
目次

1 初期の対立と国共合作

2 日中戦争後の軍事対立

3 その後

4 関連項目

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初期の対立と国共合作

結成当初の中国国民党中国共産党は、1924年(民国13年)にコミンテルンの仲介で第一次国共合作を行うなど、国民革命に向けて共同歩調をとっていた。しかし、国共合作下で行われていた北伐の途上において、国民党右派の蒋介石上海クーデターを決行、その後国民党左派も共産党との連携を解消(武漢分共)し、国民党と共産党は対立関係に入った。

1927年の国共合作の解消後、共産党は武力闘争を開始させた。南昌起義を皮切りに各地で武力蜂起を繰り返すが、国民党軍によって鎮圧された。それでも1931年、共産党が瑞金中華ソビエト共和国臨時政府を建てると、国民党の蒋介石は日本に対しては宥和的な姿勢で臨みつつ、共産党に対して激しい攻撃を加えた。追いつめられた共産党が長征によって延安へと逃れると、蒋介石は延安への攻撃を図るが、反共より抗日を優先しようとした張学良による西安事件が起こり、国共対立は一時収拾する。1937年の日中戦争勃発後、紅軍(共産党軍)が国民革命軍第八路軍(八路軍)として形式上は国民党軍の指揮下に組み込まれ、第二次国共合作に入った。ただし、抗日戦争中より国民党と共産党の間に衝突も起こっており、両者の共闘が必ずしも成功していたわけではない。


日中戦争後の軍事対立

日本の敗戦後、共通の敵を失い再び国民党と共産党は戦後構想の違いより対立へと転じ、1946年6月より内戦を再開させた。というよりも、元々両者ともこの結果は予想済みであり、国民党軍はむしろ抗日戦の最中も来るべく共産党との決戦に備え、兵力温存を図っていた。国民党軍は約430万(正規軍200万)でアメリカ合衆国の援助も受けており、共産党軍の約128万(正規軍60万)と比べ優位に戦闘を進め、東北部を除く中国全土で支配地域を拡大した。

さらに蒋介石は東北部の権益と引き換えにイデオロギーを棚上げにしてスターリンと協定を結び、ソ連から中国共産党への支援は消極的なものとなる。その間に国民党軍は東北部で大攻勢をかけ、1947年中頃になると共産党軍は東北部で敗退・撤退し、国民党は大陸部の大部分は手中に収めようとしていた。

しかしながら抗日戦において消極的で兵力温存を図った事は、結果として国民党にとって大きな失敗となる。このような状況において、民衆は抗日戦において積極的であった共産党を支持し、国民党は民衆から乖離する事となった。また法幣の大量発行がインフレーションを招いた事も、農民を中心とした民衆の支持を失う事となった。また抗日戦の際の兵力温存は、軍の弛緩を招き、内戦時の度重なる戦闘において兵士の士気の低下となって現れた。

またアメリカも日本軍への抵抗を期待して国民党を援助したにもかかわらず、兵力温存を図り期待した通りの働きをしなかった国民党軍に対して、大きく不信感を抱く事となった。結果として、第二次世界大戦の終結以降、ヨーロッパにおける冷戦の開始や日本の占領政策に集中する事もあり、アメリカから国民党への支援は先細りになっていった。

一方の共産党は、戦後撤退していく日本軍から最新式の兵器を奪取する作戦を遂行しており、兵力温存を図った国民党軍に対して質的均衡となるほどの軍事力を得た。

以上の結果、農村部を中心に国民党の勢力は後退していき、共産党が勢力を盛り返していった。最終的には毛沢東率いる共産党が北京、南京、上海などの主要都市まで占領することとなった。その結果、1949年に共産党による中華人民共和国が成立した一方、中華民国を率いる国民党の指導者蒋介石台湾へ逃れた。

第二次世界大戦後、蒋介石の依頼を受けた元支那派遣軍総司令官の岡村寧次は、密かに富田直亮元陸軍少将(中国名・白鴻亮)率いる旧日本軍将校団(白団)を軍事顧問として台湾に密航させ、蒋介石を支援。地縁や血縁によって上下関係が構築されるなど、長い戦乱で軍紀が乱れきっていた国民党軍幹部に近代的な軍事技術を伝授し、軍の近代化を推進。特に艦艇、航空機の運用面で改善は著しく、八二三(金門)砲戦を勝利に導くなど、際立った効果をあげた。[要出典]


その後

その後、中国大陸では現在に至るまで共産党による一党独裁政治が続くことになる。台湾では、国民党の圧政に対する二・二八事件の鎮圧以降40年にわたって戒厳令が施行され、国民党が強権的に台湾を支配する時代が続いたが、1980年代に入り戒厳令が停止され自由選挙が行われるなど急速に民主化が進み、現在は議会制民主主義を元にした民主主義国家となっている。


関連項目

蒋介石

孫文

毛沢東

宋美齢

張作霖

張学良

周恩来

林彪

西安事件

中国国民党

中華民国の歴史

江青

フランクリン・ルーズベルト

クレア・リー・シェンノート


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki