呉淞笙
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呉淞笙
出生1945年4月4日
福建省
職業囲碁棋士
各種表記
簡体字?淞笙
繁体字?淞笙
ピン音
和名表記ご しょうしょう
発音転記ウ・ソンシェン
ラテン字Wu Songsheng
ポータル テンプレート ノート

呉淞笙(ご しょうしょう、1945年4月4日-2007年12月23日)は、中国オーストラリア囲碁棋士福建省生れ、中国囲棋協会などに所属、九段。一時韓国棋院客員棋士。陳祖徳らとともに中国最初の九段として活躍。
目次

1 経歴

2 主な棋歴

3 著書

4 外部リンク

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経歴

福建省に生れ、上海で育つ。1959年に上海囲棋集中訓練隊入り。劉棣懷、魏海鴻、汪振雄らに指導を受ける。1961年に国家囲棋集中訓練隊入り。1962年に全国囲棋個人戦に出場、3位となる。1964年の中国囲棋協会段位制開始時に、過?生、劉棣懐、陳祖徳とともに最高段の五段となる。64、66年の全国個人戦では陳祖徳に次いで2位。それまでの「南劉北過」に代わって、「陳呉時代」とも呼ばれた。日中囲碁交流では、1963年訪中団の宮本直殻に定先で勝ち、64年訪日団に参加し4勝5敗、65年の訪日では4勝3敗、66年訪日では2勝3敗などの成績を収める。文化大革命後の1974年訪日では6勝1敗。1978年には牛之浜撮雄との三番碁に勝利。1982年に九段位となる。1983年、国家体育委員会から体育栄誉奨章授章。同年、国家囲棋集中訓練隊教練員となる。

1985年にオーストラリアに移住。1988年の第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ではオーストラリア代表として出場、1回戦で趙治勲に敗れる。第2回大会ではシドニー代表として出場、依田紀基に敗れる。1989年から韓国棋院客員棋士となって、棋戦に参加。1996年第1回三星火災杯世界オープン戦では予選を勝ち抜いて出場、1回戦で馬暁春に勝ち、2回戦で劉小光に敗れる。

1999年に帰国、北棋牌学校副校長に就任。2000年、中国囲棋協会訓練センターの監督就任。同年、南方証券杯中国囲棋元老戦で、決勝で劉小光に0-2で敗れ準優勝。

2007年にシドニーの病院で死去。


主な棋歴

全国囲棋個人戦

1962年 3位

1964年 2位

1966年 2位


新体育杯戦 準優勝 1980年

南方証券杯中国囲棋元老戦 準優勝 2000年

日中囲碁交流

1963年(○宮本直殻(定先))

1964年 4-5(○村上文祥、○加納嘉徳(定先))

1965年(訪日) 4-3

1966年 2-3

1972年 (○安永一(定先))

1974年 6-1

1973年 (×坂田栄男(定先))

1976年 2-3-2(×佐藤昌晴、×大平修三、○伊藤誠)

1978年 4-3(2-1 牛之浜撮雄)

1980年 4-3(○三王裕孝)


著書

『呉淞笙圍棋教室(初級篇)』2002年 人民体育出版社

『呉淞笙圍棋教室(入門篇)』2003年 人民体育出版社

『呉淞笙圍棋教室(昇華篇)』2006年 人民体育出版社


外部リンク

TOM棋聖道場「?淞笙」
カテゴリ: 中国の囲碁棋士 | 囲碁棋士 | 1945年生 | 2007年没

更新日時:2008年5月16日(金)06:24
取得日時:2008/06/29 20:42


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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