呉工廠
モバゲーを超えたコミュ!
[モバコミ]なら会えるさ

[Wikipedia|▼Menu]


ウオッちずGoogle Map 呉海軍工廠

呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)とは、広島県呉市にあった日本の海軍工廠。戦艦「大和」建造で有名。終戦により工廠は解散。現在はアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド株式会社の呉工場として大型民間船舶の建造を行っており、艦艇建造はしていない。
目次

1 概要

1.1 戦前

1.2 戦中

1.3 戦後


2 沿革

3 建造された主な艦艇

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

//


概要


戦前

1889年 (明治22年) 呉鎮守府設置と同時に「造船部」が設置される。当初造船は神戸にあった小野浜造船所に頼っていたが徐々に呉での設備を拡充、小野浜造船所は後に閉鎖された。1903年 (明治36年)に組織改編で呉海軍工廠が誕生。その後は東洋一と呼ばれるほど設備を充実させた。工員の総数は他の三工廠横須賀佐世保舞鶴の合計を越える程でドイツクルップと比肩しうる世界の二大兵器工場であった。戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地となった。

砲熕部(砲塔の製造、開発)、製鋼部(装甲板の製造、開発)が設置され戦艦建造の主導的役割を果たしていた。三菱重工業長崎造船所で建造された戦艦「武蔵」の主砲塔、砲身も呉で製造されている。


戦中

1945年6月22日9時よりB-29・290機が飛来し施設を破壊した。海軍工廠関係の死者約1900名。


戦後

土地、設備は播磨造船所とNBCが引き継ぐ。呉造船所、石川島播磨重工業(現IHI)呉工場を経て現在はアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場。呉工場での自衛艦艦艇の建造は無いが、修理は行っている。なお「造船船渠(大和の建造用ドック)」は1993年に埋め立てられて、跡地は工場として再利用されている。しかし、大和が修理を行った「船渠(ドック)」は現存しており、自衛艦や米軍艦船などで現在も使用中である。


沿革

戦前

1889年 (明治22年) 呉鎮守府設置。同じくして「造船部」設置、小野浜造船所を管轄する

1891年 (明治24年) 呉での操業開始

1895年 (明治28年) 「仮設呉兵器製造所」設立、小野浜造船所閉鎖

1897年 (明治30年) 「仮設呉兵器製造所」は「呉海軍造兵廠」に改称、呉で初の軍艦「宮古」進水

1897年 (明治30年) 「造船部」は造機部と合併して「造船廠」となる

1903年 (明治36年) 「造兵廠」と「造船廠」が合併、「呉海軍工廠」となる

1905年 (明治44年) 「造船船渠」完成。後に戦艦「大和」を建造するドック。

1921年 (大正10年) 呉海軍工廠広支廠開庁式

1923年 (大正12年) 広支廠を廃止して、広海軍工廠を設置  

戦後

1945年(昭和20年) 10月15日呉海軍工廠廃止

1945年(昭和20年) 播磨造船所呉船渠開設

1952年(昭和27年) NBC呉造船部開設

1954年(昭和29年) 呉船渠は播磨造船所から独立し株式会社呉造船所設立

1962年(昭和37年) NBCは呉造船部を呉造船所へ譲渡

1968年(昭和42年) 石川島播磨重工業が呉造船所を合併

2002年(平成14年) 石川島播磨重工業から船舶部門分離、アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場になる


建造された主な艦艇

通報艦宮古(呉で初めて建造された軍艦)

戦艦安芸摂津扶桑長門大和

巡洋戦艦筑波生駒伊吹

重巡洋艦那智愛宕最上伊吹(未成)

防護巡洋艦対馬

軽巡洋艦大淀

航空母艦赤城蒼龍雲鷹(改装)、冲鷹(改装)、神鷹(改装)、葛城阿蘇(未成)

水上機母艦千歳千代田日進



[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki