吉永 幸一郎
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府枚方市
生年月日1969年5月1日(39歳)
身長
体重184cm
99kg
選手情報
投球・打席右投左打
守備位置捕手、一塁手
プロ入り1987年 ドラフト5位
初出場1990年4月10日
経歴
東海大学工業高等学校
南海ホークス
福岡ダイエーホークス(1988 - 2000)
読売ジャイアンツ(2001 - 2003)
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吉永 幸一郎(よしなが こういちろう、 1969年5月1日 - )は、大阪府枚方市出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手(一時内野手に転向)。現役時代は南海ホークス・福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、読売ジャイアンツに在籍した。
目次
1 来歴・人物
2 エピソード
3 年度別打撃成績
4 記録
5 タイトル・表彰
6 関連項目
7 外部リンク
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東海大工高(現・東海大学付属翔洋高等学校)から1987年ドラフト5位で南海ホークスに入団。同期に吉田豊彦、大道典嘉、村田勝喜、柳田聖人など後のダイエーを支える選手がいた。
1990年に初めて一軍に昇格。しばらくはエレベーター選手であったが、田淵幸一監督からレギュラーキャッチャーに抜擢され、チームの大先輩である門田博光ばりの一本足打法と、ヘッドスピードの非常に速いバットスイングから、福岡ドーム初の1試合3本塁打を記録するなど、長打が魅力の選手としてクリーンナップを務めることも多かった。
城島健司、小久保裕紀、松中信彦らの入団前においては岸川勝也、佐々木誠と共に貴重な長距離砲であった。1996年に膝を故障。一塁手としての出場が多くなり、城島の台頭も有ったため1997年から内野手に転向。同年、自己最高の打率.300、29本塁打を記録し、オールスターでは4番を打った。
1998年は小久保が出場停止、怪我で出場できず、4番を任された重圧から思うような結果が挙げられなかった。シーズン後にダイエーのスパイ疑惑が報道され、スパイを行った主犯メンバーの1人として名前が挙げられた(当時チームメイトだった工藤公康の話によれば、そんな大それたことをする度胸のある男ではないとのこと)。
1999年は主に3番指名打者としてチームの初優勝、日本一に貢献したものの、日本シリーズでは吉永の先発出場が無かった。このことを不服としFA宣言をほのめかすも、球団からの慰留もあり残留する。
2000年は同じ左の大砲である松中の成長で出場機会は減ったものの当時の正捕手・城島の戦前離脱時には5年ぶりにマスクをかぶり、指名打者、代打として存在感を見せ、チームのリーグ連覇に貢献した。2000年オフ、大野倫との交換+金銭1億円(金銭はダイエーが辞退、後に金銭の代わりに佐藤誠が無償譲渡)のトレードで巨人へ移籍。多くの一塁手が在籍するチーム事情もあり、ダイエー時代からのチームメイトである工藤も在籍していたことから捕手に復帰。移籍1年目は先発マスクを被ることもあったが、阿部慎之助の存在で控え捕手のレベルにとどまった。2002年からは守備に付くことはなく出場機会が激減。代打本塁打を2本放ち、優勝に貢献したが、2003年に自由契約となり現役を引退。
郭泰源から台湾球界移籍の打診もあったが断り、2004年からは会社員に転身した。マスターズリーグ・福岡ドンタクズに参加した。2006年からは札幌アンビシャスに移籍)。現在はこども服会社の社長として東北にあるメーカーの代理店として店舗を拡大中である。
本人曰くパリーグの観客の少ない所でのプレーが好きだったとの事。ホークスの成績が上昇しシーズン観客動員が増大するにつれ、吉永の打撃成績は下降していった。
エピソード
1997年に、ホームランを1本ノーゲームで損した事がある。この年は29本塁打で終わったため、その1本があれば本塁打数を30本の大台に乗せていた事になる。
巨漢の体格と眼鏡を掛けた人の良さそうな風貌から、一部のファンから「左門」と呼ばれていた。