文学
ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年8月11日 - 1962年9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生れ。
様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、国民文学作家とされる。
目次
1 経歴
1.1 生い立ち
1.2 人気作家への道
1.3 『宮本武蔵』の誕生
1.4 終戦後の活動
2 年譜
3 主な作品
4 馬主
5 映像化作品
5.1 映画
5.2 テレビドラマ
6 家族親族
7 系譜
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
//
1892年8月11日(戸籍面は13日)、神奈川県久良岐郡中村根岸(現在の横浜市)に、旧小田原藩士・吉川直広、イクの次男として生れた。自筆年譜によると出生地は中村根岸となっているが、地名としては中村根岸はなく旧地名で中村町と推定され現在の横浜市中区山元町に当たる。父・直広は県庁勤務の後小田原に戻り箱根山麓で牧畜業を営みさらに横浜へ移って牧場を拓く。イクとは再婚で、先妻との間に兄正広がいた。英治が生まれた当時、直広は牧場経営に失敗し、寺子屋のような塾を開いていた。その後貿易の仲買人のようなことを始め、高瀬理三郎に見出され、横浜桟橋合資会社を設立。一時期安定するが、直広が高瀬と対立し、裁判を起こし敗訴すると、刑務所に入れられ出所後は生活が荒れ、家運が急激に衰えていく。
山内尋常高等小学校に入学。当時騎手の馬屋に近く、将来は騎手になることを考えていた。また10歳のころから雑誌に投稿をするようになり、時事新報社の雑誌『少年』に作文が入選した。家運が衰えたのはこのころで、異母兄と父との確執もあり、小学校を中退。いくつもの職業を転々としつつ、独学した。18歳のとき、年齢を偽って横浜ドックの船具工になったが、ドックで作業中船底に墜落、重傷を負う。
1910年に上京、象眼職人の下で働く。浅草に住み、このときの町並みが江戸の町を書くにあたって非常に印象に残ったという。またこのころから川柳をつくり始め、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」に参加する。1914年、「江の島物語」が「講談倶楽部」に3等当選(吉川雉子郎名義)するも、生活は向上しなかった。のちに結婚する赤沢やすを頼って大連へ行き、貧困からの脱出を目指したが変わらず、この間に書いた小説3編が講談社の懸賞小説に入選。1921年に母が没すると、翌年より東京毎夕新聞社に入り、次第に文才を認められ「親鸞記」などを執筆する。
関東大震災により同社が解散すると、作品を講談社に送りさまざまな筆名で発表し、「剣魔侠菩薩」を「面白倶楽部」に連載、作家として一本立ちする。1925年より創刊された「キング」に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣難女難」で人気を得た。なお「英治」のペンネームは、元々は本名の「英次」で書くように求められたが、作品が掲載される際に出版社が誤って「英治」としてしまったのを本人が気に入り、以後ペンネームとするようになった。「キング」は講談社が社運をかけた雑誌であるが、新鋭作家吉川英治はまさに期待の星であり、「坂東侠客陣」「神洲天馬侠」の2長編を発表し、多大な読者を獲得した。執筆の依頼は増え、毎日新聞からも要請を受け、阿波の蜂須賀重喜の蟄居を背景とした傑作「鳴門秘帖」を完成させた。これを収録した『現代大衆文学全集』もよく売れ、また作品も多く映画化された。
こうして巨額な印税が入ったが、貧しいときから寄り添っていた妻やすは、この急激な変化についていけず、次第にヒステリーになっていく。これを危惧し、印税を新居に投じ、さらに養女をもらい家庭の安定を図った。こののち、「万花地獄」「花ぐるま」といった伝奇性あふれる小説や、「檜山兄弟」「松のや露八」などの維新ものを書く。しかし妻のヒステリーに耐えかね、1930年の春に家出を半年ほど実行し、この間「かんかん虫は唄ふ」などが生まれた。このころから服部之総と交友を結ぶ。1933年、全集の好評を受け、大衆文学の研究誌「衆文」を創刊、1年続き純文学に対抗する。松本学の唱える文芸懇談会の設立にも関わり、また青年運動を開始、白鳥省吾、倉田百三らと東北の農村を回り講演を開いた。1935年「親鸞」を発表。同年の8月23日から「宮本武蔵」の連載を始め、これが新聞小説史上かつてない人気を得、4年後の1939年7月21日まで続いた。剣禅一如を目指す求道者宮本武蔵を描いたこの作品は、太平洋戦争下の人心に呼応し、大衆小説の代表作である。
1937年、やすと離婚、池戸文子と再婚する。1939年2月より「新書太閤記」を連載。7月の「宮本武蔵」完結後、8月より「三国志」を連載。個人を追及したものから、2作品は人間全体を動かす力を描こうとしているのがうかがえる。「宮本武蔵」終了後も、朝日新聞からは連載の依頼が続き、「源頼朝」「梅里先生行状記」など歴史に名を残す人物を描いた作品を発表した。