台湾独立運動(繁体字漢字:台灣獨立運動、台湾語:T?i-o?n to?k-li?p ?n-t?ng)は、台湾に台湾人が主権を有する独立国家(台湾共和国)を建設する事を目指した政治運動。略称は台独(台獨、T?i-to?k)。ただし、1945年の台湾の中華民国統治を境として、運動の性質は変質している。
目次
1 運動の区分
2 中華民国による統治以前の台湾独立運動
3 中国国民党独裁体制下の台湾独立運動
3.1 前期
3.2 後期
4 民主化以後の台湾独立運動
5 台湾独立運動を展開した代表的な人物
5.1 香港を拠点として活動した人物
5.2 日本を拠点として活動した人物
5.3 北アメリカを拠点として活動した人物
5.4 ヨーロッパを拠点として活動した人物
5.5 台湾を拠点として活動した人物
6 関連項目
//
台湾独立運動の起源は、日清戦争後の日本による台湾出兵(牡丹社事件に関する台湾出兵とは別)にまでさかのぼる。しかし、この時に宣言された「台湾民主国独立宣言」(後述)は、真に台湾を独立させることを意図したというよりは、台湾を日本へ渡さないための清朝側の謀略という側面が強かった。
日本統治時代の台湾独立運動にも、大きな盛り上がりは見られず、日本帝国の一植民地としての自治権強化の運動や、大日本帝国憲法を台湾にも施行して日本内地の住民並に参政権を獲得する運動などが主流となった(参政権は属地主義だったので、戦前は日本内地在住の台湾人にのみ選挙・被選挙権があった)。
1945年(昭和20年)の日本敗戦後も台湾独立運動は起こらず、中華民国への「祖国復帰」を多くの台湾人が大きな抵抗もなく受け入れている。
しかし、実際に中華民国の軍隊が台湾に上陸しその統治が始まると、台湾人の多くは腐敗した国民政府に失望し、台湾人と「中国人」の違いを次第に自覚するようになった。戦後の台湾独立運動は、このような出発点に立ち、中華民国体制を克服し、大陸の中華人民共和国による支配をも拒絶する運動、即ち「中国人」ではなく、「台湾人」として生きるための運動として展開されている。
現在の台湾独立派の最も有力な理論は、「台湾は日本が敗戦によって台湾を放棄した時点で国際法上の独立を果たしており(中華民国を台湾が領有するという国際条約は存在しない)、戦後の台湾には台湾共和国と亡命中華民国が並存しているとしている」というものである(以上は民主進歩党の立場。李登輝の国民党時代の理論は別)。そして、その上で中華民国の政治体制を変革することを目標としている。この運動は、泛緑連盟によって支持されているが、一方で中華民国の中国再統一を志す泛藍連盟による強い反発を受けている。
台北政府が中華民国体制からの正式な独立宣言をした場合、「一つの中国」を主張してきた中華人民共和国は台湾を回収する根拠を失うため、同国は「武力解放」を明言して台湾を絶え間なく恫喝し続けている。アメリカや日本の政府は、大規模な戦乱を恐れ、「台湾独立」に慎重な立場を取っているが、これらの国々の政府や民間に親台湾派は決して少なくない。
この時代の台湾独立運動について、まず特筆されるべきことは、日清戦争後の下関条約で日本が清国から台湾を割譲された際、台湾が「台湾民主国」として一応の独立を宣言していることである(黄昭堂:『台湾民主国の研究―台湾独立運動史の一断章』東京大学出版会。1970年)。しかし、この政権は大陸から派遣されていた清朝の官僚や清国軍、清国の科挙試験に合格したごく一部の台湾人特権階級を中心としたものであったため、短期間で解体、崩壊した。日本軍の台湾上陸の報を聞いた清朝の官僚は直ちに外国船で大陸へ逃亡し、清国兵は台北で台湾人への略奪を始めている。台湾人の有産階級は、独立どころか日本軍に救援を依頼し、進軍の手引きまでしている。この時期、「台湾独立」を熱望する台湾人は、ほとんど皆無であったと考えても差し支えないだろう。
また、この後に、いわゆる「土匪」による日本軍への抵抗運動も行われるが、これも既得権益を失うことを恐れた地方の有力者による反抗と言うべきで、「台湾独立運動」と考えるのは難しい。
1945年以前の唯一の正統な台湾独立運動と言うべきは、台湾共産党によるものであろう。1920年代、台湾共産党は、日本共産党の指導の下にあり、これがコミンテルンの指示を受け、「日本帝国主義」からの独立を目指している。しかし、これも決して大きな広がりを持つには至らなかった(この時期の台湾独立運動の代表人物としては、謝雪紅などが上げられる)。しかも、中国共産党は、台湾共産党の主張する社会主義的理念に基づく台湾独立を認めず(台湾統一という領土拡張を優先)、彼らの多くを追放したため、台湾共産党の主導による独立運動も一気に終焉を迎えるのである。
1970年の台湾独立建国連盟設立後を境に前期・後期と分けられる。
初期の独立運動は、日本へ留学した留学生が活動の中心となった。これは日本統治時代の影響で日本語を習得していた人間が多く、台湾から日本の大学への留学が比較的容易だった事が背景にある。
中華民国国外における本格的な独立運動の先駆けとしては、廖文毅による日本での台湾共和国臨時政府樹立が挙げられる。しかしながら、臨時政府は財政問題や国民政府の圧力などによっていきづまり、廖文毅の「投降」後に瓦解した。
他にも、日本では許世楷や黄昭堂、金美齢および夫の周英明らが中心に活動し、台湾独立を主張した雑誌『台湾青年』をはじめとする諸著作の出版や中華民国政府による人権抑圧や、中華民国政府に好意的な日本政府に対する抗議デモ、また当時台湾で軟禁状態だった彭明敏亡命の支援など積極的に台湾独立運動が行われた。