この項目には、一部のコンピュータや一部の閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。
儒家経典
五経伝
九経
易経
書経
詩経
礼経
(儀礼/周礼)
春秋経礼記
春秋左氏伝
春秋公羊伝
春秋穀梁伝
七経十二経
論語
孝経爾雅
十三経
孟子
書経(しょきょう)または尚書(しょうしょ)は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。儒教では孔子が編纂したとし、重要な経典である五経のひとつに挙げられている。
古くは『書』とのみ、漢代以降は『尚書』と呼ばれた。『書経』の名が一般化するのは宋代以降である。
現行本『書経』58篇のテキストは「偽古文尚書」であり、その大半は偽作されたものである。
目次
1 体裁
2 テキスト
2.1 今文尚書
2.2 古文尚書
2.3 偽古文尚書
3 構成
4 注釈
5 日本の元号
6 日本の国宝
7 外部リンク
//
『書経』にはその体裁によって以下のようなものがある。
誥(こう) - 君主の臣下に対する言葉
謨(ぼ) - 臣下の君主に対する言葉
誓 - 君主が民衆に対する宣誓の言葉
命 - 冊命(さくめい)あるいは君主の命令の言葉
典 - 重要な歴史的事件のあらましが書かれたもの
また人名や内容によって篇名が付けられたものもある。
『書』は先秦時代、他の儒教経伝や墨子をはじめとする諸子百家の書物、歴史書などに引用されており、現在見られるものとは違ったテキストがあったことが推測される。漢代以降のテキストには大きく分けて「今文尚書」「古文尚書」「偽古文尚書」の三つがある。
秦の焚書坑儒や楚漢の戦いの後、秦の博士だった伏生(伏勝)が壁の中に隠しておいた28篇を伝えた。当時の通行の書体である今文(隷書体)で書き写されたので「今文尚書」(きんぶんしょうしょ)」と言われる。やがて斉魯において伏生から欧陽生(欧陽和伯)・張生に伝えられた「今文尚書」は、欧陽高・夏侯勝(大夏侯)・夏侯建(小夏侯)の三家に分かれた。武帝の時には欧陽氏本に対して学官に立てられ、宣帝の時、三家とも学官に立てられた。それぞれ29篇であり、伏氏本に「太誓」1篇が加えられている。また文帝の時、詔して晁錯を伏生(当時90余歳)のもとに派遣し、『尚書』を受けさせている。これが他の3本とどう関わるかは定かではない。
後漢でも十四博士として三家が続けられたが、その後は古文学が隆盛して振るわなかった。
なお残片が少し残っている後漢の熹平石経のテキストは欧陽氏本と考えられている。
漢代、孔子旧宅の壁中や宮廷図書館、民間などから発見された『尚書』は、秦以前の書体で書かれていたので「古文尚書」(こぶんしょうしょ)と呼ばれる。「古文尚書」について以下のようなものがある。
孔安国伝本 - 司馬遷の『史記』儒林伝の記載によると、孔子の家に伝えられた『尚書』があり、孔子11世孫の孔安国が今文に読み替えたところ、「今文尚書」にない10余篇があったという。
壁中古文本(孔壁本・魯恭王本) - 劉?の「移太常博士書」(『漢書』楚元王伝所収)の記載によると、魯国の恭王劉余が孔子の旧宅を壊して宮殿としようとしたこところ、壁の中から古文による先秦書籍を得たという。このうち逸書は16篇であった。天漢中、孔安国がこれを伝えたが、巫蠱の乱で行なわれることはなかったという。『史記』儒林伝を補完するような内容になっており、壁中古文本=孔安国伝本と考えられる。
中古文 - 宮中の図書館が所蔵していた「古文尚書」。班固の『漢書』芸文志の記載によると、劉向が「中古文」で欧陽氏、大小夏侯氏の「今文尚書」を校訂したところ、竹簡の脱落が「酒誥」篇に一簡、「召誥」篇に二簡あったという。これが孔安国伝本であるかは定かではない。
河間献王本 - 河間国の献王劉徳が伝えた「古文尚書」。『漢書』景十三王伝の記載によると、河間献王は古典収集を好み、その集めた書物は『周官』『礼』『礼記』『孟子』『老子』などであったという。