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古墳時代(こふんじだい)とは、一般に3世紀半ばすぎから7世紀末までの約400年間を指すが、中でも3世紀中葉過ぎから6世紀末まで前方後円墳が北は東北地方から南は九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の世紀ともいわれる。前方後円墳が造られなくなった7世紀には、方墳・円墳、八角墳などが造り続けられ終末期と呼ばれている。
日本国家の成立から考察すれば、前期・中期の古代国家の形成期を経て、後期から終末期にかけて日本の古代国家が成立したと考えられている。
目次
1 概要
2 時期区分
2.1 古墳時代前期
2.2 古墳時代中期
2.3 古墳時代後期
2.4 古墳時代終末期
3 地域国家から古代国家へ
3.1 初期ヤマト王権
3.2 倭の五王の時代
3.3 古代国家の成立
4 国際関係
4.1 朝鮮との関係
4.2 中国との関係
5 関連項目
6 外部リンク
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この時代にヤマト王権が倭の統一政権として確立し、前方後円墳はヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。3世紀の後半から奈良盆地に王墓と見られる前代より格段に規模を増した前方後円墳が出現し、4世紀の初めには河内平野に巨大古墳が築造され、この世紀の終わり頃には畿内の一部に先進的な群集墳が現れる。つづく5世紀の半ばには、各地に巨大古墳が築造されるようになる。それが、6世紀の終わりには日本各地で、ほぼ時を同じくして前方後円墳が築造されなくなった。これは、ヤマト王権が確立し、中央・地方の統治組織をできあがり、より強力な政権へ成長したことの現れだと解されている。この後しばらくの間、方墳や円墳が造り続けられる。大王の墓は特別に八角墳として築造された。
対外関係としては、4世紀以降朝鮮半島に進出し、新羅や百済を臣従させ、高句麗と激しく戦ったことが広開土王碑文などから知られる。5世紀には倭の五王が中国に使者を遣わした。倭が朝鮮半島で得た鉄は、甲冑、武器、農具に用いられた。中国と朝鮮から、文字(漢字)と仏教・儒教がもたらされた。この時代の人々は土師器と須恵器を用いた。
青銅器も大陸から移入されたが、古代オリエント地域などと違って鉄器使用の年代と隔たりがないため実用に用いる機会に乏しく、性能に優れた鉄に取って代わられた。そのため青銅器は銅鐸など祭祀・宗教用途に用いられるに留まっている。
3世紀後半ないし4世紀初め頃から古墳時代前期、4世紀末から古墳時代中期、6世紀初めから7世紀の半ばごろまでを古墳時代後期としている。