叡山本線(えいざんほんせん)は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬比叡山口駅までを結ぶ叡山電鉄の鉄道路線。路線図叡山本線(八瀬比叡山口行き)の主力車両デオ700系電車(宝ヶ池駅にて)八瀬比叡山口駅にて
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 関連項目
7 脚注
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路線データ
路線距離(営業キロ):5.6km
軌間:1435mm
駅数:8駅(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式
保安装置:ATS(速度照査機能付)
最高速度:60km/h
京都市中心部から三宅八幡駅付近までの生活路線および、比叡山や八瀬比叡山口駅付近への行楽路線である。一乗寺駅付近までは住宅と町工場の混在した地域、三宅八幡駅付近までは住宅地の中を走る。沿線には名所・旧跡も多く存在する。三宅八幡駅をすぎると山裾を駆け上がり八瀬比叡山口駅に到達する。
八瀬比叡山口駅付近は比叡山へのケーブルカーへの乗り換えのほか、開業当時から京都電燈や地元が中心となり開発され、一時期駅名となった遊園地「八瀬遊園」が開設されるなど観光地として賑わった。現在では一部の休日を除けば散策を楽しむような静かな観光地である。
平日ダイヤと土休日ダイヤの2つを基本としている。
おおむね、平日昼間時間帯は鞍馬線直通の出町柳 - 二軒茶屋間の列車、出町柳 - 鞍馬間の列車、そして出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車の順にそれぞれで20分間隔で運転され、鞍馬線直通電車の方が多くなっている。土休日昼間時間帯は鞍馬線直通の出町柳 - 鞍馬間の列車と、出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車がそれぞれで15分間隔で運転される。朝と夕方以降には鞍馬線市原駅で折り返す列車があるほか、車庫のある修学院駅発着となる列車もある。ごく一部の例外[1]を除いて全列車ワンマン運転を行っている。
お盆や年末等は平日でも土休日ダイヤで運行されることがあるほか、観光シーズンには特別休日ダイヤが組まれることがあり、日中は最大で出町柳 - 鞍馬間の列車と出町柳 - 八瀬比叡山口間の列車がそれぞれ12分間隔[2]で運転される。
京都電燈により開業し、同社の叡山電鉄部の下に置かれた。子会社の鞍馬電気鉄道(現在の鞍馬線)は全通後一貫して当線との直通運転を行っている。また一時は、軌道線である京都市電からの直通運転が行われていた。
1925年(大正14年)9月27日 京都電燈により出町柳 - 八瀬(現在の八瀬比叡山口)間が開業。集電方式は架空複線式(ダブルポール)であった。
1928年(昭和3年)12月1日 鞍馬電気鉄道により現在の鞍馬線、山端(現在の宝ヶ池) - 市原間が開業。山端が接続駅となる。
1929年(昭和4年)12月20日 鞍馬電気鉄道が全通。出町柳 - 山端 - 鞍馬で直通運転を開始。
1930年(昭和5年)2月 集電方式を架空単線式に変更。
1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道に譲渡。
1943年(昭和18年)7月10日 京都市電の東山線が延伸開業。特認により東大路通とは交差点となる。
1944年(昭和19年)5月1日 山端(現在の宝ヶ池) - 八瀬間が不要不急線として単線化され資材供出される。
1949年(昭和24年)12月11日 元田中 - 山端間で、京都市電からの乗り入れ運転を開始。
宝ヶ池にあった市営競輪場の観客輸送運行で、競輪開催日のみ実施。車両は市電の1000形を使用し、叡山線内はホーム高さの関係でノンストップだった。また、松ヶ崎浄水場建設にあたっての京都市電下鴨集荷場線(休止中)を利用した資材輸送に、この渡り線を経由して京福から101号が度々貸し出されている。
1951年(昭和26年)7月1日 山端 - 八瀬間が再複線化。
1954年(昭和29年)6月10日 山端駅を宝ヶ池駅に改称。
1955年(昭和30年)9月1日 この日をもって京都市電からの乗り入れ運転を終了。
市電側の集電装置がトロリーポールからビューゲルに変更されたことに加え、市がかねてから公営でギャンブル事業を行うことに反対意見があったことや、市の財政再建に目処がついたことで競輪場が廃止されたことによる。競輪場跡地は後に「こどもの楽園」という子供同伴者を除いて中学生以上立ち入り禁止の公園となり、園内に場内スタンドの一部が残されていたが、2006年に老朽化で解体撤去された。