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反戦運動(はんせんうんどう Antiwar movement)とは、平和主義の観点から戦争に反対する個人または団体の運動や活動である。平和運動よりもやや狭義で捉えられるが、厳密な区分はない。
目次
1 概要
2 歴史
3 反戦運動と反米運動の関連
4 日本の昭和初期の平和運動と現在の反戦主義者の目標
5 関連項目
6 注
7 外部リンク
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反戦運動は、手段としての戦争に反対することがその目的であり、戦争の原因となっている問題自体に対しては意見を問わず、平和的な解決を求める。運動の具体的な内容には徴兵拒否、軍隊からの脱走、デモ行進、ビラ配布、戦争当事国の輸出品目の不買運動、軍需産業のストライキ、当局関係者による内部告発などがある。湾岸戦争の際、ビックカメラが社として、多国籍軍に加わったフランス製品の不買を呼びかけたのは有名。
ただし、政府当局が、反戦運動を「心理戦における相手国への利敵活動」と見なし、監視対象にすることがある。実際に、ベトナム戦争における代表的な反戦運動組織「べ平連」にはCIAやKGBのスパイが紛れ込んでおり、脱走アメリカ兵の密出国を妨害していたことも確認されている。またスイス政府が『民間防衛』中で“敵の宣伝に備えよ”と教育宣伝を行なっていた。
戦争に伴う生命財産の危険を嫌うのは誰もが持つ感情であるため、政治的に利用されやすい。いわゆる反戦団体や支持者があらゆる戦争に平等に反対しているとは限らず、むしろ温度差がある場合がほとんどである。単に自分の利害にかかわる戦争のみにしか関心がなかったり、特定のイデオロギーや勢力を支援したり、反政府活動の材料にしたりする。
国家、特に民主政国家は世論に関心を払わざるを得ず、厭戦気分の煽動は戦争継続の妨害になる。そのため敵国や第三国が該当国の反戦運動を利用することもある。べ平連を例に挙げれば、一貫してベトナム側に肩入れしており[1]ベトナム戦争が終結した後に共産党政権が行った粛清や難民発生、中国・カンボジアとの戦争について、ベトナム戦争中ほどの関心は見せなかった。[要出典]
運動の根幹をなす反戦の概念は比較的新しく、その現れは南北戦争の時代に文学などで既に見られたが、平和主義思想の展開に伴って本格的になったのは第一次世界大戦以降の国家総力戦(Total war)に対する損害が増大してからであると考えられている。
第一次世界大戦において国民総動員体制の下でそれまでよりも多大な犠牲が払われる事になると、戦争は国民への負担を強いるようになり、厭戦気分を生むようになった。また従来から戦争において行われる非人道的な殺戮や破壊行為への問題視が、反戦活動の社会的な基礎となった。 社会的な問題として顕著となったのは20世紀の後半、特にアメリカやイギリスなどの欧米諸国でベトナム戦争に参戦してからである。
反戦運動と反米運動の関連2003年3月15日のワシントンD.C.集会
反戦運動は、アメリカが行う戦争に対してアメリカ国内でアメリカ市民が反対することが発端となることも多い。代表的な例として、ベトナム戦争時におけるアメリカでの反戦運動があげられる。また、2003年3月20日にアメリカがイラク戦争を開戦する以前に世界各国でイラク攻撃の反対運動が展開した(開戦直後には世界を24時間かけて一周する反戦デモのリレーが行なわれた)ことも例としてあげられる。
また、アメリカ合衆国以外での反戦運動は反米運動としての側面を持つ場合もあり、その時にはアメリカの国旗を燃やす、アメリカの大統領を模した案山子を破壊するなど、過激行為が行われることもある。
日本における現在の反戦運動は、在日米軍や日米安保に絡んで米国に主眼をおいたものが多く、中国によるチベット侵略戦争など米国の関与していない戦争に対しては大きく取り組まない場合がほとんどである。
昭和初期の大日本帝国では、世界各国の市民の命と引き換えに金儲けしているアメリカの軍需産業と軍産複合体を根絶しなければならないというのが世界の絶対平和実現のためのテーマであった[要出典]。石原莞爾のように「天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろう」[2]とし、世界平和を目指して柳条湖事件(満州事変)を起こしたような実例もあった。(世界最終戦論参照。