原辰徳
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原 辰徳
読売ジャイアンツ No.88
基本情報
国籍 日本
出身地福岡県大牟田市
生年月日1958年7月22日(50歳)
身長
体重181cm
86kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置三塁手
プロ入り1980年 ドラフト1位
初出場1981年4月4日
最終出場1995年
年俸1億5000万円(2007年)
経歴


東海大相模高校

東海大学

読売ジャイアンツ (1981 - 1995)

■Template  ■ウィキプロジェクト 野球選手

原 辰徳(はら たつのり、1958年7月22日 - )は、福岡県大牟田市出身、神奈川県厚木市相模原市育ちのプロ野球選手[1](現役期間1981年 - 1995年)、プロ野球監督2002年 - 2003年2006年 - )。現役時代は読売ジャイアンツ所属の内野手及び外野手

現在は読売ジャイアンツ監督、同球団名誉顧問。右投右打。愛称は「若大将」。「タツ」「平成の若大将」「ヤング・ミスター」「永遠の若大将」。または親しみを込めて「原さん」とも呼ばれる。「ポストON世代」の筆頭。
目次

1 来歴・人物

2 経歴

3 背番号

4 年度別打撃成績

5 タイトル・表彰

6 監督としてのチーム成績

6.1 リーグ公式戦

6.2 ポストシーズン


7 監督通算成績

8 エピソード

8.1 現役時代

8.2 解説者時代

8.3 指導者時代

8.4 その他


9 歌

10 出演

11 脚注

12 関連項目

13 外部リンク

//


来歴・人物

父は福岡県立三池工業高等学校東海大学付属相模高等学校および東海大学の野球部監督であった原貢。私立平原幼稚園、大牟田市立平原小学校大牟田市立三池小学校、大牟田市立白川小学校と転校し、父の東海大学付属相模高等学校監督就任に伴い、神奈川県へ転居。厚木市立緑ヶ丘小学校、厚木市立南毛利中学校、相模原市立上鶴間中学校[2]を経て、1974年東海大相模高校に入学。

東海大相模高時代には1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。夏の甲子園に3年連続で出場し、1975年春の甲子園にも出場している。この大会では決勝戦まで勝ち進み、延長の末高知高に敗れたものの、準優勝という成績をおさめている。甲子園の各大会では、後にプロ野球でも活躍する定岡正二宇野勝土屋正勝杉村繁らと名勝負を繰り広げている。地区大会の神奈川県大会では、川崎球場を満員にするほどの「原フィーバー」を巻き起こした。当時のチームは、原のほかにも、津末、綱島、佐藤、村中らの好選手を擁し、高校野球ファンに鮮烈な印象を残している。高校通算本塁打は43本。

高校卒業後、東海大学に進学。遠藤一彦は先輩、市川和正は同級生、高野光(故人)は後輩に当たる。東海大学はまだ発足したばかりの首都大学野球連盟に加盟していたが、原目当てのファンが殺到する事態に備えて、加盟校のグラウンドで行われていた試合に加え、川崎球場や横浜スタジアムなどを利用した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen