国旗国章
国の標語 : Deo Vindice
(ラテン語: 我々の擁護者神の下で)国歌 : 神よ南部を救いたまえ (非公認)
公用語英語が実質的公用語(各種のヨーロッパ言語とネイティヴ・アメリカン言語が地域的に使用された。)
首都モンゴメリー
→リッチモンド
大統領
1861年2月18日 - 1865年5月10日ジェファーソン・デイヴィス
面積
1,995,392km2
人口
9,103,332人
変遷
独立宣言1861年2月4日
承認ザクセン=コーブルク=ゴータ公国により承認
アポマトックス・コートハウスの戦い
アメリカ連合国 (?れんごうこく、Confederate States of America、CSA、また、南部連合、南部連盟、南部同盟、 アメリカ南部連邦 とも、ディキシー/Dixie のニックネームでも知られる) は、アメリカ合衆国からの分離独立を宣言した南部諸州が設立した国で、1861年から1865年までの間存在した。その短い存在期間を北部の合衆国との間の南北戦争に費やすが、主に守勢にまわり、敗北の結果連合国は消滅した。
アメリカ連合国が動員した軍事力を日本では南軍といい、アメリカ連合国の代名詞として南軍が使われている。
目次
1 歴史
1.1 背景
1.2 連邦離脱
1.3 南北戦争と連合拡大
1.4 連合の終焉
1.5 その後の南部再建
2 政治
2.1 憲法
2.2 首都
2.3 外交と法的地位
2.4 南部連合旗
2.5 連合の政治的指導者
3 アメリカ連合国の経済
4 軍事
4.1 連合の軍指導者
5 地理および構成諸州
6 注
7 関連項目
8 外部リンク
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詳細は南北戦争の原因を参照
当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。農業中心の南部では、黒人奴隷労働に依存したプランテーションが盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出していた。また農園所有者が実質的に南部を支配していた。イギリスを中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益だったため、南部は自由貿易を望んでいた。
北部では急速な工業化が行われており、新たな流動的労働力を必要とし奴隷制を必要としなかった。また、商工業振興のため、保護関税や交通網の整備などが求められ、特に南部に比べて保護貿易への期待が高かった。
北部で奴隷制度廃止運動の機運が高まると、奴隷労働を必要とした南部は反発し、奴隷制を巡る合衆国内の対立はしだいに大きくなっていった。そこで、奴隷制を認める州(奴隷州)と認めない州(自由州)とを半々とすることによって勢力バランスをとるため、1820年にミズーリ州が奴隷州として合衆国に加入する代わりに、以後北緯36度30分より北に奴隷州をつくらない、というミズーリ協定が成立した。
しかし米墨戦争の結果、合衆国の領土は太平洋岸まで拡大し、新たに獲得した地域にできた州を奴隷州とするかどうかをめぐり奴隷州と自由州の対立が激化した。結果、カリフォルニア州を自由州として、ニューメキシコ、ユタについては州に昇格する際に住民自らが奴隷州か自由州かを決定すること(人民主権)となった。これによって、南部は奴隷州が少数派となること、すなわち上院議員の数が自由州側の方が多くなることに危機感を抱いた。
北部を地盤とし、奴隷制拡大に反対していた共和党から出馬した大統領候補、エイブラハム・リンカーンが1860年末にアメリカ大統領選挙に当選したあと、奴隷州の内6つ、サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州が連邦から脱退した。