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質問の要約:南紀の範囲について、吉野出身の方々などから疑問が出ています。->ノート:近畿地方#南紀の語源について
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南紀(なんき)とは、近畿地方の紀伊半島部分を指す地名。近畿地方を幾つかに分けた内の南側の地域で、太平洋側に当たる。
広義では紀伊半島の太平洋側一帯を指す場合もあるが、狭義では三重県の熊野灘沿岸と和歌山県南部の一帯のみを指す場合もある(これは観光ガイドの影響が強い)。
目次
1 南紀と紀南
2 地理
3 歴史
3.1 日本神話
3.2 古代から平安時代まで
3.3 鎌倉時代から江戸時代まで
4 交通
4.1 鉄道
4.2 空港
4.3 主な道路
4.4 海上保安
5 関連項目
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紀伊国南部を指す名称としては、「紀南」がある。これは、紀伊国北部の「紀北」に対する名称として認識されており、和歌山県民は「紀南」という名称を用いる事が多い。これは、「南紀」という名称が漠然としているためでもあり、対を成す「北紀」という名称も歴史上存在しないからである(希に、「南紀熊野」に対抗して「北紀高野」と名乗って宣伝している事はある)。又、三重県でも、北牟婁郡を指して「紀北」と称する事も有る(例:紀北町)が、この用法には和歌山県北部から苦言が寄せられている。[要出典]
近年では、「南紀」という名称も、「紀南」と同じく紀伊国南部を指して使われる事が多くなっている(例として、南紀熊野体験博は紀南にあたる田辺市ならびに西牟婁郡及び東牟婁郡、新宮市のみを該当地域とした。これに異議を唱えたのが高野山擁する伊都郡であり、期間の間独自イベントを開催し、南紀熊野に対抗していた)が、あくまで観光でのイメージに則った使い方が多く、本義の「南紀」とは大きく逸れている。現に、和歌山県北部の住民は、自分の住んでいる地域が「南紀」であるという意識を持っていない。あくまで紀南と南紀が混同されたことで、「南紀」は観光イメージとして、和歌山県南部を指す言葉として県民に定着しているからである。
更に細分化して、「中紀」(有田郡?日高郡の管轄。「南紀」と同様に観光のイメージが強い)や「紀中」(気象庁の区分に用いられ、海域にも用いられる。そのことから、釣り雑誌などで地域を区分する際に用いることが多い)などという名称も、状況に応じて用いられる事がある。
紀伊半島の南部、中央構造線よりも南に位置し、太平洋が南に面する。太平洋側気候を呈しており、雨の多い地方として有名である。夏には台風の襲来も少なくない。
平野が乏しいために、山林が広がり、日本を代表する林業地帯となっている。十津川を初めとして、山間の村落も多い。
江戸時代までは「伊勢へ七度、熊野へ三度」と呼ばれていた。
山脈:果無山脈
山:朝熊山、大峰山、八剣山、大台ヶ原山、那智山、高野山、金剛山
谷:瀞八丁、瀞峡
川:宮川、北山川、熊野川、日置川、日高川、紀の川
瀑:那智滝
温泉:南紀白浜温泉、南紀勝浦温泉、龍神温泉
海岸:熊野灘(鬼ヶ城)、橋杭岩、和歌浦
岬:潮岬
南紀は日本神話との縁が深く、熊野は神武東征に関わる土地として登場している。
国造が分立した時代には、紀の川流域(今の和歌山県北部)が紀伊国造の領土、熊野川流域(今の和歌山県南部と三重県南部)をヤマト王権が領土にした。