南満州鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、略称: 満鉄、英称: South Manchuria Railways Co.)は、日露戦争後の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結まで中国東北部(旧満州)に存在した日本の特殊会社である。鉄道事業を中心にするが、きわめて広範囲にわたる事業を展開し、満州経営の中核となった。初め大連市、のちに新京特別市に本社が置かれ、東京市麻布区麻布狸穴町に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。満鉄のシンボル、特急「あじあ」
目次
1 設立経緯
2 活動概要
2.1 午前八時主義
2.2 多様な事業展開
2.3 鉄道付属地行政
2.4 標準軌への改軌
2.5 政党の介入と社員の抵抗
2.6 張作霖爆殺事件と満州事変
2.7 北満鉄道買収と営業キロ数の伸び
2.8 特急「あじあ」
2.9 鉄道付属地の返還
2.10 満鉄改組
2.11 消滅とその後
3 資本金
4 関連企業・団体
5 経営路線
5.1 社線
5.2 北鮮線
5.3 国線
5.4 新線
5.5 社内専用線
6 満鉄を走った主な列車
7 満鉄の車両
8 歴代総裁
9 主な出身者
10 関連項目
11 脚注
12 参考文献
13 外部リンク
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設立経緯初代総裁・後藤新平大連の満鉄本社旧満鉄本社(2007年10月)大連市内にある満鉄旧址の石碑大連大広場。満鉄は沿線に近代的都市計画による都市建設を行なった。大連市内に現存する満鉄の社紋(「M」とレール断面の意匠)入りのマンホールの蓋。満鉄は上下水道や電力・ガスなど都市インフラに関わる事業も行なっていた。満鉄が営業した大連ヤマトホテル。現在も大連賓館として当時の建物で営業されている。撫順炭鉱の経営も満鉄が行なった。
南満州鉄道株式会社は、日露戦争中の満州軍野戦鉄道提理部を母体に、日本政府が1906年に設立した半官半民の特殊会社である。
日露戦争(1904年-1905年)の勝利により、ポーツマス条約の結果ロシア帝国から譲渡された東清鉄道の南満州支線・長春 - 大連間の鉄道施設・付属地と、日露戦争中に物資輸送のため建設された軽便鉄道の安奉線(安東(現・丹東) - 奉天(現・瀋陽)間)とその付属地の経営が当初の設置目的であった。
初代総裁には台湾総督府民政長官として植民地行政に実績を挙げていた後藤新平が就任した。後藤は満鉄の監督官庁である関東都督府の干渉により満鉄が自由に活動できないことを懸念し、総裁就任の条件として満鉄総裁が関東都督府の最高顧問を兼任することを時の首相、西園寺公望に飲ませている。