南海諸島(簡体字:南海??、ピンイン:Nanh?i Zh?d?o)は南シナ海の南北約1800km、東西約900kmの範囲にある250を越える1km2以下の島々、環礁、岩礁、浅瀬、暗礁、砂州の総称であり、北は北衛灘、西は萬安灘、南は曾母暗沙、東は黄岩島(または海馬灘)に及び、殆どの島には原住民は存在しない。 諸島は4つの群島へ分かれる(面積の順に):
南沙諸島(スプラトリー諸島:Spratly Islands、南沙群?)
中沙諸島(マクルスフィールド諸島:Macclesfield Islands、中沙群?)
西沙諸島(パラセル諸島:Paracel Islands、西沙群?)
東沙諸島(プラタス諸島:Pratas Islands、?沙群?)
諸島と周辺の海底には鉱石、天然ガス、石油が埋蔵されており、経済的・軍事的・海運的重要性から20世紀中頃から中国と東南アジアの国々、特にベトナムとの間で領土争いが勃発し、特に南沙諸島でそれは激しい。実際の領有と支配は係争の当事者達によって分けられている。(#領有の主張と実効支配を参照の事)南海諸島
目次
1 歴史
2 領有の主張と実効支配
3 地理
4 生物
5 地名
6 関連項目
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諸島の歴史に最も広範囲に関わっている国が中国とベトナムである。 南海諸島は発見した秦の時代の中国人によりそれぞれ漲海崎頭および珊瑚洲と名づけられた。しかし次の漢の時代には航海は行なわれなかった。宋の後、島々は千里長沙および萬里石塘と呼ばれた。 唐または宋の時代に、現在はベトナムと係争中の甘泉島に家があった。1045年、宋の仁宗の治世、王師が西沙諸島に送られた。海南島の漁師は「更路簿」へ200を超える航路、そして漁師達が共通で使っていた100を越える島々の名前を記録していた。 鄭和は何度も航海を行い、この島々を通過したが、おそらく停泊はしなかったと考えられている。鄭和の通過に因んだ名前が南沙諸島にある環礁へ付けられている。
ベトナムの漁師と商人もまた南海諸島を探検していたが、非公式であり記録が不足しているためその存在はよく知られていない。 19世紀、インドシナの占領の一部としてフランスは南沙諸島の主権を1930年代まで要求し、英国といくつか交換をした。第二次世界大戦中の1939年に南海諸島は日本へ併合された。 1911年に成立した中華民国は広東省、後に海南特別行政区の一部として南海諸島を要求し、1946年島を接収した。
日本とフランスはそれぞれ、占領を終えてからは領有を主張していない。
中華人民共和国はこれら全ての島々を海南省の一部だと主張している。中華人民共和国はこれらの島々の領有を強く主張していたが、1990年代末、新しい保障概念の元、その要求はそれほど強くなくなっている。
一方でベトナムは1973年に南沙諸島全域をフォクトイ省(当時はカインホア省)に属すると主張している。 現在ベトナムは29の、中華人民共和国は8?9個の島と岩礁を実効支配している。
中華人民共和国とベトナムに加え、中華民国(台湾)、マレーシア、フィリピンがいくつかの島々を要求し、占領している。中華民国は南沙諸島全ての領有を主張しているが、実効支配しているのは太平島一つだけである。マレーシアは大陸棚の3つの島々を占領している。フィリピンは南沙諸島の殆どをカラヤーン群島と呼び、パラワン州の郡であると主張しているが、8つの島しか占領していない。
ブルネイとインドネシアは島ではなく海の領有を主張している。(南シナ海を参照の事)
島々は平均水深200mの薄いヒューム石層の大陸棚上に位置している。しかしながら、南沙諸島では海底は何千メートルもの起伏に富んでおり、フィリピンの近くのパラワントラフでは水深5,000mに達する。また、一部では航海が困難な程浅くなっており、事故がおきやすい。 海底は古生代と中生代の花崗岩や変成岩を含み、島は火山島を除いて構成と年代の違う珊瑚礁からなる。
島々を通じて棲んでいるカツオドリとカモメ類といった海鳥を除いて野生の陸上脊椎動物は知られていない。それらの排泄物は年に10ミリメートルから1メートルの層を作る。
おおよそ100-200の植物種が諸島全体に存在する。たとえば、西沙諸島に166種が生育しているが、後に中国とベトナムにより、更にピーナッツ、サツマイモや様々な野菜といった47種が持ち込まれた。