千代の富士
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千代の富士 貢
四股名千代の富士 貢
本名秋元 貢
生年月日1955年6月1日
出身北海道松前郡福島町
身長183cm(現役時)
体重127kg(現役時)
所属部屋九重部屋
成績
最高位第58代横綱
生涯戦歴1045勝437敗159休
(125場所、勝ち星歴代1位)
幕内戦歴807勝253敗144休
(81場所、勝ち星歴代1位)
優勝31回(歴代2位)
賞殊勲賞1回
敢闘賞1回
技能賞5回
データ
初土俵1970年9月場所
入幕1975年9月場所
引退1991年5月場所
備考
金星:3個(三重ノ海2、若乃花1)
2008年6月22日現在
 ・編・歴 
千代の富士貢の銅像

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、本名:秋元 貢(あきもと みつぐ)、1955年6月1日 - )は、大相撲の力士で、第58代横綱北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。夫人は進藤喜平太(第二代及び第五代玄洋社社長)の曾孫で、進藤一馬(第十代玄洋社社長、元福岡市長)の姪孫。

史上最多の通算勝星・1045勝など、数々の栄光を手にした史上有数・昭和最後の大横綱。小兵ながら速攻と上手投げを得意にして一時代を築いた。 右四つ、左前廻しの体勢から、自分よりも大きな相手をぐいぐいと寄り切ったり、一瞬の呼吸で投げ飛ばすさまはファンを熱狂させた。四股の美しさも特筆すべきもので、高々と頭の高さほどまで上げた足が空中で一瞬静止したのち、力強く踏み下ろされるまで、体には僅かなぶれもない堂々たる四股だった。
目次

1 少年時代〜入門まで

2 初土俵〜幕内定着

3 三役から横綱へ〜ウルフフィーバー

4 横綱時代

5 年寄として

6 強さなど

7 略歴

8 主な成績

9 幕内での場所別成績

10 引退にまつわるエピソード

11 関連書籍

11.1 千代の富士貢著作


12 関連楽曲

13 千代の富士物語

13.1 演じた俳優


14 関連項目

15 外部リンク

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少年時代〜入門まで

漁師の息子として生まれた。漁業の手伝いで足腰が鍛えられ、少年時代からスポーツ万能。特に陸上競技では走高跳三段跳で地方大会に優勝し、オリンピックにもいける、といわれた逸材だったという。

中学時代虫垂炎手術をした際、彼の腹の筋肉が厚くこれにてこずっているうちに、予定を大幅に上回る長時間の手術になってしまい、終わる前に麻酔が切れた。それでもなお耐え続ける貢少年を見た執刀医は感心して知り合いにこの話をした。その知り合いというのが、かつて千代の山(後の九重)をスカウトした若狭龍太郎で、その後貢少年が運動神経を買われて町の相撲大会に引っ張り出され、勝ちを収めたと聞いた若狭はスカウトに乗り出す。話を聞いた九重も若狭と共に乗り出し、直々に説得。本人は相撲に興味がなく、両親も反対したため断わったが、「入門するなら飛行機YS-11だったらしい。当時は夢の乗り物であった)に乗れるよ」また「中学の間だけでもやってみて、後のことを考えたら」と持ちかけられ、結局貢少年は家族の反対を押し切って九重部屋に入門を決めた、というある意味子供らしい逸話がある。


初土俵〜幕内定着

本名で初土俵を踏み、翌場所には大秋元と改名。その後、千代の冨士、後に点をつけて千代の富士となる。相撲は始めたが、転入した中学でも陸上を続け、区大会入賞するなど活躍、中学卒業後は帰郷するつもりでいた。しかし土俵での成績も概ね好調で、逸材を手放すのを恐れた師匠は、後援会に世話を頼んで貢少年を明大中野高校に通わせる。高校で学業と相撲の両立をはかったが困難となり、退学して相撲に専念することに決し、ここに至って貢少年は本格的に力士の道を歩むことになる。

千代の富士の四股名の由来は、師匠の四股名である「千代の山」と同じ部屋の先輩横綱「北の富士」。異名の「ウルフ」については、魚を捌いていたところを見た親方が「みたいだな」と言ったことからついた。当初は狼と呼ばれていたのがいつしか変化したそうで、これを聞いた当時の春日野理事長は「動物の名前で呼ばれる力士は強くなる、儂はマムシだった、狼は若乃花の昔のあだ名だ」と言ったという。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen