北条師時
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北条 師時(ほうじょう もろとき、建治元年(1275年) - 応長元年(1311年)9月22日)は、鎌倉幕府10代執権である。居所から西殿師時とも称される。

父は8代執権北条時宗の弟・北条宗政。母は7代執権北条政村の娘で、当時二番引付頭人であった北条時村の妹。父の死後に伯父にあたる北条時宗猶子となる。妻は従兄弟である9代執権北条貞時(時宗の子)の娘。

永仁元年(1293年)19歳の若さで5月30日評定衆、6月5日三番引付頭人、10月20日執奏、12月20日従五位上と、鎌倉政権の中枢に抜擢される。北条貞時が、平頼綱を永仁の大地震に乗じて誅殺して実権を取り戻した平禅門の乱の直後である。

引付衆を経ずに評定衆となるのは、得宗家一門と赤橋家の嫡男のみに許される特権とされる。これにより師時は北条氏庶流というより得宗家の一員と見なされていたとされる。またそれが平禅門の乱の直後であり、また父北条宗政を凌ぐ要職であることから、単に家格だけではなく、兄弟の居ない貞時が、自分にとって一番近い血縁である師時や、もう一人北条宗方を政権の中枢に引き上げることによって、周りを固めようとしたとも見られている。

正安3年(1301年)8月、貞時の出家に伴い執権に就任し、貞時の嫡男北条高時(後の14代執権)成人までの中継ぎ役として期待されたが、貞時の死の1ヶ月前に37歳の若さで急死した。


経歴

弘安7年(1284年)10歳で子侍所別当

弘安8年(1285年)11歳で左近将監・従五位下に叙爵

永仁元年(1293年)5月30日評定衆、6月5日三番引付頭人、10月20日執奏、12月20日従五位上(19歳)

永仁2年(1294年)1月30日、右馬権頭

永仁5年(1297年)7月、二番引付頭人(23歳)

正安1年(1299年)2月27日、正五位下(25歳)

正安3年(1301年)8月22日、執権 9月27日、相模守に遷任(27歳)

嘉元2年(1304年)従四位下

応長元年(1311年)9月21日、出家。道覚と号す。 9月22日、卒去。享年37。


参考文献

細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-02786-6

この「北条師時」は、日本の歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。


鎌倉幕府執権北条氏
1 時政 | 2 義時 | 3 泰時 | 4 経時 | 5 時頼 | 6 長時 | 7 政村 | 8 時宗 | 9 貞時 | 10 師時 | 11 宗宣 | 12 煕時 | 13 基時 | 14 高時 | 15 貞顕 | 16 守時
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 北条氏 | 鎌倉時代の武士 | 1275年生 | 1311年没

更新日時:2008年8月19日(火)15:25
取得日時:2008/10/04 14:59


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki