北宋(ほくそう、960年 - 1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。南宋もともに、宋、宋朝である。北宋期の首都は開封。十一世紀の北宋
目次
1 歴史
1.1 建国
1.2 ?淵の盟
1.3 新法・旧法の争い
1.4 滅亡
2 政治
2.1 官制
2.1.1 元豊以前
2.1.2 元豊の改革
2.1.3 地方
2.1.4 科挙
2.1.5 胥吏
2.2 司法
2.3 兵制
2.4 税制
3 経済
3.1 南北
3.2 商業
3.3 農業
3.4 交通
3.5 通貨
3.5.1 貨幣
3.5.2 紙幣・為替・証券
3.6 鉱業
4 社会
4.1 社会構成
4.1.1 士大夫
4.1.2 小規模自作農
4.1.3 佃戸
4.2 都市
4.2.1 首都・開封
5 文化
5.1 思想
5.1.1 儒教
5.1.2 仏教
5.1.3 道教
5.2 文学
5.2.1 詩
5.2.2 散文
5.2.3 詞
5.2.4 史学
5.3 芸術
5.3.1 絵画
5.3.2 書
5.3.3 陶磁器
6 国際関係
6.1 北方・西方
6.2 南方・東方
7 北宋の皇帝と元号
8 参考文献
8.1 全般・通史
8.2 政治
8.3 経済
8.4 社会
8.5 文化
9 外部リンク
10 脚注
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唐の崩壊以後、中国は五代十国時代の分裂期に入り、北方の遼(契丹)などの圧迫を受けて混乱の中にあった。その中で五代最後の後周の二代皇帝である世宗は内外政に尽力し、中国の再統一を目指していた。その世宗の片腕として軍事面で活躍していたのが宋太祖の趙匡胤である。趙匡胤
世宗は遼から領土を奪い、十国最大の国南唐を屈服させるなど統一への道筋を付けたが959年に39歳の若さで急死。あとを継いだのはわずか七歳の柴宗訓であった。このとき趙匡胤は殿前都点検(禁軍長官[1])の地位にあったが、翌960年に殿前軍の幹部たちは幼帝に不満を抱き趙匡胤が酔っている隙に強引に皇帝に擁立し、趙匡胤は柴宗訓から禅譲を受けて宋を建国した(陳橋の変)。(以後、趙匡胤を廟号の太祖で呼ぶ。以下の皇帝もすべて同じ)
このように有力軍人が皇帝に取って代わることは五代を通じて何度も行われてきたことであった。