北大阪電気鉄道
地域大阪府
運行期間1921年 ? 1923年
後継路線新京阪鉄道、のち
阪急電鉄千里線など
軌間1435mm
凡例
新京阪鉄道譲渡直前の路線
阪急宝塚本線→
←新京阪鉄道免許線
北大阪電気鉄道(きたおおさかでんきてつどう)は、現在の阪急電鉄京都線十三駅−淡路駅間、千里線淡路駅−千里山駅間を開業させた鉄道事業者。
目次
1 概要
1.1 起工まで
1.2 開業
1.3 新京阪鉄道による買収
1.4 新京阪帰属後の変遷
2 年表
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もともと、不動産開発を手がけていた北大阪土地が、千里丘陵で宅地と霊園の開発を行うに当たって計画した路線である。同社は以前も、尼崎などを起点に千里を目指す路線の敷設計画を2度出していたが、いずれも却下されており、3度目の申請が1916年(大正5年)9月1日にようやく通ったものであった。
しかし免許は受けたものの、施工予算の問題があってなかなか具体化させられず、3回も施行認可申請受付期間の延長願を出さざる得なかった。結局、吹田駅−大阪駅(梅田)間で線路の付け替えを行っていた東海道本線廃線跡の払い下げを受け、当初自力で大阪市街(天神橋筋六丁目、天六)への乗り入れを行う予定であったところ、新淀川橋梁の架橋予算を削減するため暫定的に阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)十三駅へ乗り入れ、同社線経由で連絡を図る計画に変更するなどして、1918年(大正7年)11月24日にようやく会社を設立し、1920年(大正9年)2月13日に着工した。
そして1921年(大正10年)4月1日に十三駅−豊津駅間、同年10月26日に豊津駅−千里山駅間を開業させた。また一方では開業に先立ち、1920年(大正9年)9月には千里丘陵に遊園地として「千里山花壇」(のちに千里山遊園)を開設している。
なお、前述したとおり霊園の開発に携わったことから、開業後の利用客などからは「墓地電車」とも揶揄された。
また、乗務員の教習は阪急の教習所で行い、導入車両も同社の池田で組み立てを行ったといわれるなど、この頃は阪急と関わりが深い会社であった。当時の阪急梅田駅の行き先案内にも、「神戸・宝塚・千里山方面」と書かれていたといわれている。
一方、北大阪電気鉄道が設立された頃に、京阪電気鉄道は自社線防衛という目的も兼ね、淀川西岸を通り東海道本線と並行する、第二京阪線の免許を取得した。
同社は当初、梅田に既存の京阪本線と共同のターミナル駅を設け、そこを起点とする形で第二京阪線の工事を行おうとしていた(→京阪梅田線 を参照)が、予算の問題もあって当面は実現できないと考え、暫定的な大阪側のターミナル駅を模索していた。
そんな中、北大阪電気鉄道が保有していながらも着工できなかった、淡路より南下して天六に至る路線免許に目をつけた。京阪が新線を建設するために設立した新京阪鉄道へ北大阪電気鉄道の免許を譲渡させ、第二京阪線の起点は淡路とし、免許を活用して大阪市街への乗り入れを図るという計画であった。
京阪は北大阪電気鉄道の株の過半数を抑え、実権を掌握、1923年(大正12年)4月1日にその事業と免許を新京阪鉄道に譲渡した。