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1928年以前の国旗
北京政府とは、1912年から1928年まで北京に存在した中華民国政府である。北洋軍閥政府ともいう。
目次
1 袁世凱政権 1912年-1916年
2 安徽派政権 1916年-1920年
3 直隷派、奉天派連合政権 1920年-1922年
4 直隷派政権 1922年-1924年
5 執政府政権 1924年-1926年
6 奉天派、直隷派連合政権 1926年
7 奉天派政権 1926年-1928年
8 北京政府歴代大総統(臨時職をふくむ)
9 参考
10 関連項目
11 外部リンク
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中華民国は、1911年の辛亥革命によって、1912年1月1日、南京において成立した。 しかし、この時点では中国を代表する政府として国際的に承認されていた清が北京に存続していた。 両者は、宣統帝退位、臨時大総統職の孫文から袁世凱への移譲、「臨時約法」遵守などで合意し統一された。 袁世凱は、中華民国の首都を南京から自らの勢力基盤である北京にうつしたが、これが北京政府のはじまりである。
袁世凱は勢力基盤いわゆる北洋軍閥の力を背景に中央集権的な統治を志向し、中央においては議会制民主主義を標榜する宋教仁が台頭するとこれを暗殺、地方においては従来わけられていなかった行政権と軍事権を分離させ清末以来土着化する傾向にあった地方勢力を中央政府の統制下に編成していった。
こうした専制に対して、1913年7月、江西の李烈鈞らが中心となって第二革命が起ったが、事前に袁世凱側がこの動きを察知していたこと、反袁勢力が分立し結集できなかったことなどから鎮圧され、結果的に袁世凱の力をより強めることになった。 袁世凱は辛亥革命時の暫定的な地位である臨時大総統から正式な大総統に就任、大総統に強大な権限を集中させる新約法を公布させ、1914年1月10日には国会を解散させるなど独裁をつよめた。
このような集権的統治が可能であった要因のひとつに、袁世凱が列強諸国の支持をえていたことがあげられる。 列強諸国は清以来の権益の保障、借款の窓口として中国に安定した政権を必要としていた。 この要求にこたえつつ、列強諸国の力を利用して袁世凱は統治を行った。 このことは中国の半植民地化をすすめることにつながったともされるが、その手法は後の開発独裁的なものであったともされる。 そのなかで、各方面で近代化がおしすすめられた。法制整備、積極的な産業振興、大総統に軍権を集中させた軍隊の近代化、学校制度の整備による教育の普及などである。